東京都立小石川中等教育学校

校長メッセージ

令和4年11月

図書館をめぐる話

東京都立小石川中等教育学校
鳥屋尾 史郎

 戦前の小石川(旧制府立第五中学校)には「開拓館」という2階建ての建物がありました。写真で見ると、現在の体育館棟をふた回り小さくしたほどの大きさで、切妻屋根(横から見ると三角形となる屋根)が高くそびえ、戦前の学校の校舎らしく、あまり装飾のない無骨な感じの建物です。戦前の小石川の主な校舎は、現在のグラウンドの位置に建っていましたが、開拓館はそれらの校舎棟から離れて建てられていて、今の1年A組のあたり、校地の東南の隅にありました。戦前の小石川には、校地の中央に講堂があって、講堂も校舎も全て切妻屋根であったことから、開拓館も同様の設計がなされたと想像されます。
 この開拓館の2階に「紫文庫」という名の図書館がありました。残っている図面を見ると、校舎棟と開拓館との間は「屋内運動場兼剣道場」及び渡り廊下とでつながっていたので、図書館を利用する生徒は渡り廊下を歩き、剣道場を通って開拓館に行っていたと思われます。現在の校舎配置で言えば、テニスコート脇あたりの位置から2年生、1年生の教室前の廊下を歩いて開拓館にたどり着くようになっていました。さらに、開拓館の1階は柔道場でしたので、生徒たちは、柔道場を横目に見ながら、階段で2階に上がって図書館に行ったのだろうと推察します。

 ところで、私は図書館司書の資格をもっています。大学3、4年生のときに必要な講義を受講して、図書館司書資格を取得しました。資格取得に必要な単位数は思いの外多く、また、講義を担当していたのが新進気鋭の若手助教授の方で、きわめて指導に熱心であり、多くのレポートの提出を求められたため、単位の修得には多大なエネルギーが必要でした。図書館学は書籍の分類法だけきちんと理解しておけば、おおむね資格取得に必要な単位は取れるだろうと甘く見ていました。けれども、助教授からは、これからの図書館は情報を取り扱う最先端の知識を必要としていることや、当時すでに先進的な大学で開始していたコンピュータによる書籍管理がいかに重要かを徹底的に教えられ、コンピュータで書籍管理を始めた先進大学に、図書館学を履修していた学生たちは連れて行かれて、これからの社会における情報科学の重要性を実地で教育してくださったお蔭で、私たち学生は、図書館学に対する認識を根底から変えなければならなくなりました。
 当時はMicrosoftのWindows95が出現する前の段階で、今のように簡単にパソコンやタブレットでデータ処理ができる状況ではなかったにも関わらず、図書館において情報を記憶しておく業務の重要性、蓄積しておくデータの重要性の根本をしっかりと教えてくださいました。1000年前の日本の古代歌謡の世界に沈んでいた国文専門の私には、図書館学が現代社会とつながる唯一の講義であったのかもしれません。けれども、図書館学を履修し、助教授に教わったお陰で、日本の古代歌謡の世界だけではなく、その後社会人として生活していく中で、情報科学や、コンピュータといった分野にも関心をもつことができるようになったと思います。
 その助教授は私が卒業後に教授になり、後進の図書館学の研究者を何人も育てられたようです。最近、私は東京都中央図書館の外部委員の仕事を引き受けていましたが、その委員会の副座長の方はその教授の教え子で、現在、大学で図書館学の研究者として活躍していらっしゃる方でした。私からすると弟弟子にあたります。
 私の図書館と図書館司書の仕事に対する思いは結構真剣で、大学4年生の時には教員採用試験だけでなく、国会図書館の司書の採用試験も受験しました。教員採用試験には合格しましたが、国会図書館の司書の採用試験は見事に不合格でした。今でも少し残念に感じています。

 開拓館に話を戻しますが、柔道場と共有の施設だったとはいえ、戦前の小石川が独自の図書館を有していたということが、いかに先見性の高い学校であったか、ということを表しています。そして、開拓館を建立させた初代校長の伊藤長七先生の見識の高さをうかがうことができます。
現在でもそうですが、専門性の高い書籍は高価格です。一般家庭の保護者が子供の知的な好奇心を満たすために、無制限に購入できるものではなく、図書館が所蔵する書籍を利用せざるを得ません。戦前であったならば、今以上に生徒の勉学に必要な資料を提供する学校図書館の役割は重要であったと考えられます。戦前から理数教育を重視していた小石川の紫文庫には、きっと生徒の理数研究に必要な書籍が備えられていたと想像します。大学の学部の図書館のように、利用者が特定の専門性を求める集団であれば、専門性の高い書籍を専門に蒐集することができますが、一般の公立図書館のように、利用する人が多種多様であると、利用者の要求に応えるため、いろんな種類の書籍の選書を行わなければならなくなり、専門的な内容を求める生徒や学生の要求に応えることが困難になります。生徒専用の図書館を学校の施設として設け、開拓館という独立した建物で生徒の利用に供したことは、本当に素晴らしいことでした。

 現在、小石川周辺には、公立図書館として文京区立の図書館がいくつかあります。一番学校に近い公立図書館は千石図書館でしょう。小石川の生徒諸君で利用している人はどれくらいいるのでしょうか。白山通りをはさんで反対側にあります。そして、小石川近辺で最も資料が充実している図書館は「東洋文庫」です。一般の人が東洋文庫を利用すると有料ですが、小石川の生徒が利用するのであれば、紫友同窓会のご支援のお陰で利用料を支払う必要がありません。アジアに関わる資料については、世界的なレベルにあると聞いています。小石川の生徒の中で「小石川フィロソフィー」など文献を検索する必要がある場合には、最も有力な資料を集める場所となると思います。ただし、東洋文庫が蒐集し利用者に提供する資料の分野は限定的ですので、そのことをよく理解して利用する必要があります。
小石川の生徒の中で理数系の研究をする際に、最も資料が充実していると思われる図書館は文京区内にある大学の図書館、例えば東京大学の本郷キャンパスの図書館ではないかと思います。現在、各大学は図書館の重要性に当然気付いていて、私の知る限りの大学は、学生の要求に応えることができる専門性の高い書籍や雑誌を備えた図書館を施設として設置しています。コロナ前においては学生や卒業生でなくても、一定の手続きを行えば一般人も大学図書館の利用が可能でした。実は10月に校内で開催したスーパーサイエンスハイスクールに関する委員会で、私から委員の大学の先生方に、生徒たちが「小石川フィロソフィー」の論文作成や研究をまとめていくために、資料や先行論文を調べることができる大学の図書館は現在あるのだろうか、という質問をさせていただきました。後日、ご出席いただいていた東大名誉教授の木村 薫先生から、東京大学図書館の一般への利用について、情報提供をいただきました。事前予約をすれば、一般の人も東京大学図書館を利用することができるようになったようです。小石川がある文京区には、他にも全国から優秀な学生が集まる大学がありますので、大学図書館が所蔵する資料を、生徒が自由に利用できるようになると大変にありがたいと思います。

  開拓館は昭和20年4月13日の空襲で全焼しました。
開拓館2階の紫文庫にどれだけの書籍が集められていたのか、どんな資料が生徒に供せられていたのか、記録を見つけられていないため分かりませんが、生徒たちにとって貴重で大事な勉学のための資料があったことに変わりはなく、それが跡形もなく焼失してしまったことからも、戦争がどんなに無駄で無益で、起きてはならないことであるかを感じます。世界で今現在起こっている戦争で、学校の被害が報道されるたびに、その学校に通う子供たちと、その学校を必死につくり上げてきた学校関係者の悔しさや悲しみが想像されて、心が痛くなります。
東京が空襲を受けた4月13日当日、当時の2年生が、講堂に宿泊して当直を務めていた記録が書籍になって残っています。小石川に隣接している理化学研究所(現在の文京グリーンコート)に焼夷弾が落下し、さらに剣道場にも落下して、一気に火災が広がったということです。生徒たちが消火をあきらめて学校から避難しようとしたところ、グラウンドに爆弾が落下して生徒たちは吹き飛ばされたけれども、幸いなことに不発弾であったため全員がかろうじて助かった話が残されています。

 現在の小石川の図書館は2階にあって、毎日大勢の生徒たちに利用されています。校舎の真ん中にあるので、何か調べものをするのにもすぐに行くことができるので、とても便利です。蔵書も、中学生から高校生までが利用することから、初歩を理解するための書籍から専門的な内容の書籍まで幅広く置いてあり、特に新書については多くの蔵書を有しています。今後も多くの生徒たちに図書館を利用してもらいたいと考えています。