校章

東京都立小石川中等教育学校

校長メッセージ

令和6年4月

「漢文を学ぶと物理ができるようになるという仮説」

東京都立小石川中等教育学校
鳥屋尾 史郎

 13期卒業式の式辞で、日本で最初にノーベル物理学賞を受賞した湯川秀樹博士の自伝である「旅人 ある物理学者の回想(角川文庫)」から有名な一節を紹介し、はなむけの言葉としました。
「未知の世界を探究する人々は、地図を持たない旅行者である。地図は探究の結果として、できるのである。目的地がどこにあるのか、まだわからない。もちろん、目的地に向かっての真直ぐな道など、できてはいない。目の前にあるのは、先人がある所まで切り開いた道だけである。この道を真直ぐに切り開いて行けば、目的地に到達できるか、あるいは、途中で、別の方向へ枝道をつけねばならないのか。
「ずいぶんまわり道をしたものだ」と言うのは、目的地を見つけた後の話である。」という「旅人」の終わりのほうに出てくるところです。
私はこの「未知の世界を探究する人々は、地図を持たない旅行者である。」がたまらなく好きです。

 「旅人」には、湯川秀樹博士が、母親におんぶされていたという一番古い記憶から、幼少期、少年期をどのように過ごしたのか、旧制の中学、高校、京都帝国大学で何を学びどんなことを考えたのか、さらには、帝国大学卒業後「相対性論的な量子力学の研究」、「量子力学の原子核研究への応用」という、当時の最先端の分野の研究と、その後の中間子理論の発表に至る思考の変遷が綴られています。
いろんなエピソードが描かれていて、子供の頃のあだ名が「イワンちゃん」だったこと、これは口数の少ない子供だったため、面倒なことは全て「言わん」と言ってすませていたためだとか、中学生のとき同級生と行う楽しいはずの「うさぎ狩り」が嫌いだったこととかが書かれていて、偉大な発見をした大学者も子供のときがあったことが想像されます。

 そして、この「旅人」には湯川秀樹博士が5、6歳の頃から漢籍を祖父に習って素読していたことが書かれています。日本の教養人は明治期あたりまでは漢籍の知識があることは当然のことでした。
小石川では12月の「小石川セミナー」で、伊藤長七初代校長先生の書簡を、お孫さんの伊藤博子さんに朗読していただきました。
私もいくつかの伊藤長七先生の書いた文章を紹介いたしましたが、伊藤長七先生の遺した書簡はどれも高い漢籍の教養を感じることができます。
伊藤長七先生が明治10年(1877年)の生まれで、湯川秀樹博士は明治40年(1907年)の生まれで30歳の年齢の差があります。漢籍の教養は明治から大正、昭和と、欧米の文化が日本に流入する中で、次第に重要視されなくなっていきました。戦後ではさらに漢文学習に重きを置かれることがなくなっていて、シェークスピアを愛読する高校生は多くいるけれども、漢籍を愛読書としている高校生はほとんどいないと思われます。
授業で小石川生は「長恨歌」を学習するけれども、授業以外で日頃から漢文に親しんでいる人はきわめて少ないと思います。

 漢籍の素読とは、漢文を教える人が、漢字を一字一字を指し示しながら読み下していくのを、教わる人がその読み下しの後に復唱していくことで行われます。
現在でも、国語や英語の授業で、先生が教科書の文章を音読し、区切りのよいところで生徒が同じように音読するという方法を取ることがあります。
それと同じ教授法ですが、現在の授業と漢籍の素読とで大きく異なるのは、教える先生と教わる子供の間に机があってその上に漢籍の書物が置かれ、先生も子供も姿勢を正して正座をして対面し、先生が棒で漢文の一字一字を指し示しながら読み下し、その復唱が繰り返されるある種の修練の場、修行の場でもあったというところです。
少し極端な例になりますが、司馬遼太郎が吉田松陰を描いた小説に「世に棲む日々(文春文庫)」があります。吉田松陰が幼少期に学問を教わった玉木文之進は、松陰が読書の際に頬を掻いただけで、松陰を殴り飛ばしたということが出てきます。頬がかゆい、それを掻くのは私事、それを許せば長じて人の世に出たとき私利私欲をはかる人間になる、ということが折檻の理由です。
湯川秀樹博士の場合、教わる先生が祖父で、殴られることはありませんでしたが、漢籍を素読する際の雰囲気は似たものだったと想像します。毎晩寝る前の1時間ぐらいそうした素読を繰り返していたということです。

 「旅人」によれば、素読のテキストは四書の「大学」から始まったということでした。
「大学」は儒教の経書で「修己治人」すなわち、修養に励んで徳を積み、その徳で人々を正しく治めるための書として、孔子の弟子である曾子によって書かれたといわれています。儒教的な倫理観が書かれていることから、これを5、6歳の子供が素読するのはさぞつらかったと想像します。けれども、意味が分からなくても漢文を音読することは、脳の発達や言語能力の発達にはとても有効であったのではないか。
湯川秀樹博士が、原子核の研究だけでなく、和歌を詠み、書を嗜み、さまざまな著作を遺したことと無縁だとは思えません。

 「旅人」を読むと、漢籍の素読は小学校から中学校にかけて行われ、素読する漢籍は「大学」から「論語」「孟子」と、儒教のいわゆる聖典を次々と読んでいったようです。
けれども、中学生となった湯川秀樹博士が惹かれるようになったのは、「老子」や「荘子」であったと「旅人」で述べられています。また、湯川秀樹博士の他の著作を読むと「荘子」に強く惹かれたことが述べられています。

 国語の教科書にはよく「荘子」の「渾沌」や「胡蝶之夢」が掲載されています。
「渾沌」の話は、目や鼻は口といった7つの穴を開けられた渾沌が死んでしまうお話で、「胡蝶之夢」は夢の中で蝶だった荘子が目が覚めてみれば元のままで、どちらが本当の自分だろうというお話です。寓意によって荘子の自分の考え、思想を伝えようとしていますが、いろんな解釈や読み方が成り立ちます。
「荘子」には寓意で思想を言い表そうとした文や、とてつもなく大きなスケールの不思議な話が載っている一方で、物の本質をつき詰めて考察しようとする話も載っています。
こうしたスケールの大きな茫漠とした不思議な世界や、物の本質を考えていこうとする話に少年の頃から親しむことが、時間や空間、素粒子といった人間の五感では捉えることができない世界を研究し、新たな発見をする思考力が育つ源となったのではないか、というのが今回のこの稿の主題です。

 「荘子」の冒頭は、スケールの大きな話で始まります。
「北冥に魚有り、其の名を鯤と為す。鯤の大いなる、其の幾千里なるを知らず。化して鳥と為る。其の名を鵬と為す。鵬の背、其の幾千里なるを知らず。怒して飛べば、其の翼は垂天の雲のごとし。是の鳥や、海運れば則ち将に南冥に徙らんとす。南冥とは天池なり。齊諧とは怪を志す者なり。諧の言に曰く、鵬の南冥に徙るや、水の撃すること三千里、扶搖を搏ちて上る者九萬里、去りて六月を以て息ふものなり。」で始まり、途中を少し省略しますが、「小知は大知に及ばず、小年は大年に及ばず。奚を以て其の然るを知る。朝菌は晦朔を知らず、蟪蛄は春秋を知らず。此れ小年なり。楚の南に冥霊なる者有り。五百歳を以て春と為し、五百歳を秋と為す。上古、大椿なる者有り。八千歳を以て春と為し、八千歳を秋と為す。而して彭祖は乃今久しきを以て特り聞ゆ。衆人之に匹せんとする、亦悲しからずや。」と続いていきます。(漢文の書き下しは「新釈漢文大系」により作成、以下同様)

 小さきものは大いなるものの在り様の想像がつかない、何と悲しいことではないか、と荘子は述べています。

 また、こんな文が「荘子」にはあります。
「可を可とし、不可を不可とす。道は之を行きて成り、物は之を謂いて然り。悪にか然る。然るに然るなり。悪くにか然らざる。然らざるに然らざるなり。物は固より然る所有り。物は固より可なる所有り。物として然らざるは無く、物として可ならざるは無し。」
前後を読まないと何のことかよく分からないかもしれませんが、ものは人間によって名前を付けられたり、「良い悪い」の区別を付けられたりするけれども、人間がそんな勝手な判断をしようとすまいと、ものはそのものとして存在しているので、「不然」や「不可」などはないということを言っています。
こうした考え方から荘子の思想を実存主義的だと考える方もいらっしゃいます。

 教科書に掲載されている「荘子」の寓話は、「無為自然」の老荘思想として括られてしまいますが、「荘子」全体、特に前半を読んでいくと、積極的にものの本質を考察していこうとしているように感じます。
それを中学生の頃に愛読していたことから、湯川秀樹博士は、人間の五感を超えた世界の在り方を、ありのままに受け止めて研究対象とすることができるようになったのではないか。湯川秀樹博士の著述を読むと、哲学者のような思想的な深まりがあり、専門の物理に関わることだけではなく深い叡知による人間の在り様や、ものの本質に触れて思索を深める内容がとても多いと感じます。
人間のもつ可能性や能力は、いろんなアプローチを少年期にもつことによって育つということを示しているように思います。

 小石川の生徒は漢文を素読すると物理の能力も高まることをぜひとも証明してください。

校長メッセージ

令和6年3月「古墳時代の住居址を発掘する」(913KB)

令和6年2月 「紫のこと」(913KB)

令和6年1月 「私たちは21世紀を“人道支援の世紀”と呼べるようになるか?」(994KB)

令和5年12月 「令和5年度Adv.小石川フィロソフィー発表」(882KB)

令和5年11月 「伊藤長七初代校長先生から引き継いだ小石川の教育」(961KB)

令和5年10月 「行事週間で生徒たちが獲得する力」(884KB)

令和5年9月 「The International Baccalaureate」(864KB)

令和5年8月 「たたらと灰吹」(825KB)

令和5年7月 「小石川の授業でのコンピュータの使い方」(999KB)

令和5年6月 「生成AIとの付き合い方」(963KB)

令和5年5月 「大学入学共通テストの数学の出題から考えたスポーツをめぐるさまざまなこと」(704KB)

令和5年4月 「STEM教育を考える」(742KB)

令和5年3月 「RとMATLAB」(906KB)

令和5年2月 「レンガの話」(679KB)

令和5年1月 「戦争発生を未然防止のする方法を自然科学の研究からアプローチできるか?」(847KB)

令和4年12月 「科学系部活動合同発表会」(1011KB)

令和4年11月 「図書館をめぐる話」(844KB)

令和4年10月 「小石川からはじまるシチズンサイエンス」(891KB)

令和4年9月 「思考と想像のジャンプ力」(763KB)

令和4年7月 「きれいな花を長持ちさせる方法」(759KB)

令和4年7月 「鳥の言葉の研究者」(845KB)

令和4年6月 「才能がある若者のチャンスについて、ピアノ弾きYouTuberから考える」(895KB)

令和4年5月 「3年生の移動教室でおいしい水って何?と考えた」(867KB)

令和4年4月 「大学入学共通テストとデータサイエンスとの関係性」(873KB)

令和4年3月 「藍染めの化学」(735KB)

令和4年3月 「貝からはじめる探究活動」(618KB)

令和4年2月 「数は発明か発見か」(801KB)

令和4年1月 「新しいことに挑戦すること、新しいことを学習する方法」(666KB)

令和3年12月 「自分に都合の悪い現実から目を背けない」(782KB)

令和3年8月 「シェークスピアとニュートン ベストをめぐって」(674KB)

令和3年7月 「オリンピック・パラリンピックから何かを得てほしい」(668KB)

令和3年5月 「進路の手引き」(600KB)

令和3年4月 「火星でヘリコプターを飛ばす」(495KB)