校章

東京都立小石川中等教育学校

校長メッセージ

令和6年9月

「先住民族について」

東京都立小石川中等教育学校
鳥屋尾 史郎

 長い夏休みが終わって、2学期が始まりました。
 今年の夏休みは、例年以上に小石川から海外の研修に行く生徒が多かったです。7月にはUCL(イギリスのロンドン大学)に行った生徒たちがいました。8月後半には東京都の代表として、アメリカ東海岸の大学やニューヨークを訪問した生徒たちがいました。
次世代リーダー育成道場といった東京都の海外留学の仕組みを利用したり、留学を斡旋する団体などを利用したりして約1年間の海外留学に出発した生徒たちがいました。
世界大会である科学系オリンピックに出場し、メダルを獲得した生徒たちがいました。
そして今年度も8月に3年生が、オーストラリア・アデレードに2週間海外語学研修に行って来ました。

 私は、今年も3年生とアデレードに行きました。アデレードは南オーストラリア州の州都で、南オーストラリアの行政と経済の中心であると同時に、美しい自然と海が広がる素晴らしい都市です。
小石川と南オーストラリア州との友好関係は20年近く続いていて、小石川の生徒の受け入れを他のどの学校よりも優先的に実施してくださっています。
特に今年はコロナ収束後3回目の海外語学研修でしたので、昨年度、一昨年度よりもアデレードの交流校の受け入れ体制が発展、進歩しているように感じました。
3年生の中には具合が悪くなった生徒もいましたが、ホームステイしたファミリーの方たちがとてもよく看病してくださいました。お蔭で生徒はすぐに元気になって学校生活に復帰することができました。

 今月のこの稿で書こうとしていることは、アデレードの南オーストラリア博物館を見学して感じた先住民族についてのことです。
 南オーストラリア博物館はアデレードの中心部の博物館や私立美術館、州立図書館、大学の建物が並んでいる一角にあります。小石川の3年生も2週間の滞在中には必ず市内見学の際に訪問する場所です。
博物館の1階と2階の展示室には、アボリジナルの人々の文化について、生活や狩猟のための道具など分野ごとに展示しています。これらの展示について、世界で最も重要なオーストラリア先住民族文化のコレクションであると博物館は説明しています。
アボリジナル文化を包括的に展示しているので、展示品から先住民族の生活をいろいろと想像することが可能となっていることがすばらしいと思いました。
アボリジナルの人々は文字をもたず、部族ごとに言語が異なり、ヨーロッパ人がオーストラリアに到達する以前、他の文明圏との交渉をもたないい人々であったことから、世界中の他の地域から隔絶した文明をもつ民族と同様に、独特で特殊な世界を形成していたと考えられます。
 すばらしい展示ではありましたが、博物館がどんなに工夫して展示したとしても、アボリジナルの人々がどんな生活して、どうやって暮らしを成り立たせていたかを、見学した全ての人々に分かるようにするのは困難だと感じました。
そこには「もの」から人が想像することの限界がありました。後日、Henley High Schoolでのアボリジナルアートの授業を見学する機会がありました。
その時に、アボリジナルアートの先生が「ことば」で説明してくれた「ファミリーツリー」の描き方の説明のほうが、アボリジニナルの人々の時間の流れや家族についての考え方、自分の周囲の自然や動物たちへの気持ちの在り様が伝わってきたように思います。
「ことば」を後の時代に残すことがいかに重要かを考える機会となりました。
 しかし、南オーストラリア博物館の展示を見学することで、6万年も前からオーストラリア大陸には人が住み、何百もの部族がそれぞれの言語と生活様式をもって共存していたことが分かります。
包括的ではあるけれども、オーストラリアの先住民族がきわめて長い時間の中で、オーストラリアの動植物と共存し、厳しい自然環境で暮らしていたことを理解することができます。
そして、そのことが分かるように展示してあるのは、この博物館のコンセプトが、先住民族に対して高いリスペクトをもっているからと考えられます。
 アボリジナル文化の展示の入り口には、「ウルル声明」が掲げられていました。「ウルル声明」は2017年にアボリジナルの人々のリーダーたちが、オーストラリア中央部のウルルにて、アボリジナルの人々とトレス海峡諸島の人々の先住民としての代表権向上のため、オーストラリア憲法の改正を求めた請願書です。
「ウルル声明」後に成立したオーストラリアの現在の労働党政権は、「ウルル声明」を反映した憲法の改正手続きの整備を進め、憲法改正の国民投票実施までにこぎつけました。
けれども、2023年10月に実施された国民投票で憲法の改正は否決されています。私たち外国人の短期間でのオーストラリア滞在では、なかなか伝わってこない政治の動きです。
こうした政治的な動きを調べてみると、オーストラリアの先住民族をめぐる歴史的、政治的問題は簡単には解決していかないことが分かるような気がします。

 さて、私は南オーストラリア博物館を見学した後に、すぐそばにある移民博物館にも行きました。ここでは、オーストラリアにいつヨーロッパ人が到着し、現在ではどれくらいの国々からオーストラリアに移民して生活するようになっているかについての展示がありました。
小石川の海外語学研修では、アデレードのいろんな文化的な背景をもつ、いろんな国からやってきた人たちの家のお世話になります。
移民博物館では、オーストラリアに世界中から人々がやってくることで、より高い文化の創造、イノベーションが行われ、ダイバシティがきわめて重要であることが謳われていました。
 移民国家であること、ダイバシティが重要視されていることは、オーストラリアの教育がSTEMであることのきわめて大きな背景となっています。
そして日本をはじめとしてさまざまな国から生徒たちの留学を受け入れる重要な動機にもなっていると思います。
私がオーストラリアの人々を尊敬する大きな理由は、出身や信条などでカテゴライズせず、世界中からの移民を受け入れ、社会や人々の幸せのために努力する人をきちんと認め敬意を表するからです。
そのこととオーストラリアの先住民族の問題とは、外国人から見るとうまく整合性が取れていないように感じられるのは、国内の歴史的な背景、これまでの経緯から仕方のないことなのかもしれません。
しかし、小石川の生徒たちが接するアデレードの交流校の人たちは、アボリジナルの人々や文化、歴史に対する尊敬や感謝の念を強くもっていることを感じます。
こうした気持ちを多くの人たちがもっていることから、先住民族の問題は困難であっても、必ず解決していくに違いと思います。

 オーストラリアだけでなく、世界のいくつもの国で先住民族の問題が存在します。アボリジナルと同様によく話題に取り上げられるのは、カナダのイヌイットの人々のことです。
先住民族の人々は、生活圏に入ってきた他文明の人々(近代以降はヨーロッパの海外進出や植民地政策によるものが多いですが)に土地を奪われ、固有の文化を否定され、教育によって同一化が図られることにより、民族としてのアイデンティティを喪失していくことが世界中で起きています。
国連は、2007年に「先住民族の権利に関する国際連合宣言」を出し、先住民族の慣習と文化、伝統を守る権利、先住民族への差別の禁止について宣言しましたが、現在のように経済の発展が何よりも重要視され、世界中で戦争状態が続く中で、さまざまな混乱が発生して小数である先住民族の生活が脅かされていることが予測できます。
現在のイヌイットの人々の生活を脅かしているのは、気候変動と北極海周辺の資源の争奪だとインターネット記事にありました。
また、経済や軍事力の強いいわゆる大国では、自国利益優先、自国民優先の政権が生まれる傾向があり、ますます先住民族の権利擁護はむずかしい問題となっているように感じます。
 日本にも先住民族の問題があります。私は今年の夏は北海道にも行っていて、北海道以北の北方民族に関する博物館、アイヌに関する資料館をいくつか見学してきました。
東京に暮らしていると、日本の先住民族問題を知る機会は少ないと思いますが、アイヌ文化の資料館も台東区にありますし、最近は北海道開拓やロシアの南下と絡めたアイヌ問題をテーマとしたマンガも話題になっているようなので、こうした問題について多くの若い世代に興味をもってもらいたいです。
私たちの周りには、なかなか気が付かない多くの人間の尊厳に関わる問題が存在していることを忘れてはなりません。

校長メッセージ

令和6年8月「やなせたかしさんの著作から正義について考える」(740KB)

令和6年7月「サイエンステクノロジーフェスタ2024を開催して」(966KB)

令和6年6月「高校生の海外留学」(828KB)

令和6年5月「ソメイヨシノの生まれ故郷は小石川のご近所のようです」(828KB)

令和6年4月「漢文を学ぶと物理ができるようになるという仮説」(824KB)

令和6年3月「古墳時代の住居址を発掘する」(913KB)

令和6年2月 「紫のこと」(913KB)

令和6年1月 「私たちは21世紀を“人道支援の世紀”と呼べるようになるか?」(994KB)

令和5年12月 「令和5年度Adv.小石川フィロソフィー発表」(882KB)

令和5年11月 「伊藤長七初代校長先生から引き継いだ小石川の教育」(961KB)

令和5年10月 「行事週間で生徒たちが獲得する力」(884KB)

令和5年9月 「The International Baccalaureate」(864KB)

令和5年8月 「たたらと灰吹」(825KB)

令和5年7月 「小石川の授業でのコンピュータの使い方」(999KB)

令和5年6月 「生成AIとの付き合い方」(963KB)

令和5年5月 「大学入学共通テストの数学の出題から考えたスポーツをめぐるさまざまなこと」(704KB)

令和5年4月 「STEM教育を考える」(742KB)

令和5年3月 「RとMATLAB」(906KB)

令和5年2月 「レンガの話」(679KB)

令和5年1月 「戦争発生を未然防止のする方法を自然科学の研究からアプローチできるか?」(847KB)

令和4年12月 「科学系部活動合同発表会」(1011KB)

令和4年11月 「図書館をめぐる話」(844KB)

令和4年10月 「小石川からはじまるシチズンサイエンス」(891KB)

令和4年9月 「思考と想像のジャンプ力」(763KB)

令和4年7月 「きれいな花を長持ちさせる方法」(759KB)

令和4年7月 「鳥の言葉の研究者」(845KB)

令和4年6月 「才能がある若者のチャンスについて、ピアノ弾きYouTuberから考える」(895KB)

令和4年5月 「3年生の移動教室でおいしい水って何?と考えた」(867KB)

令和4年4月 「大学入学共通テストとデータサイエンスとの関係性」(873KB)

令和4年3月 「藍染めの化学」(735KB)

令和4年3月 「貝からはじめる探究活動」(618KB)

令和4年2月 「数は発明か発見か」(801KB)

令和4年1月 「新しいことに挑戦すること、新しいことを学習する方法」(666KB)

令和3年12月 「自分に都合の悪い現実から目を背けない」(782KB)

令和3年8月 「シェークスピアとニュートン ベストをめぐって」(674KB)

令和3年7月 「オリンピック・パラリンピックから何かを得てほしい」(668KB)

令和3年5月 「進路の手引き」(600KB)

令和3年4月 「火星でヘリコプターを飛ばす」(495KB)