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2025/12/25 お知らせ
【社会科】横浜巡検(フィールドワーク)を実施しました!
2025年12月20日(土)、地理の講習として「横浜巡検(フィールドワーク)」を実施し、後期生14人が参加しました。
地理的な見方・考え方を養い、地域社会に生きる公民としての資質・能力を高め、自然科学と人文・社会科学事象を多面的・多角的に考察するきっかけとすることを目的として、一日かけて横浜の都心と都心周辺部を巡りました。
まず、横浜駅に集合し、西口から江戸時代には旧東海道の宿場町であった神奈川宿の周辺を見学しました。
当時の絵図や地形図などから、横浜駅がある場所は、近世までは海であり、海食崖に沿うように東海道が通っていたことに気づきました。
また、横浜駅西口エリアは、雑居ビルとマンションが建ち並ぶエリアですが、近年再開発が行われて高層ビルがいくつも建設されている現状を観察し、地域的な課題について考えました。

横浜駅東口エリアに進み、横浜みなとみらい21地区に進みました。
横浜みなとみらい21地区は、東京都心の過密化の問題に対応するためなどから、東京大都市圏の「新都心」として1980年代以降、再開発が計画・実施されてきた地域です。
バブル崩壊後のオフィス需要低迷などから、開発は一部に限られてきましたが、近年開発のスピードが上がり、2020年代になって開業が相次ぐエリアがあることなど見学し、地域の変化を観察しました。
初期に建設された「横浜ランドマークタワー」では、旧横浜船渠株式会社第二号船渠(ドック)を見学し、みなとみらい21地区がかつては埠頭やドック、貨物列車の操車場であったことを確認しました。


現在では観光用の遊歩道になっている汽車道が、かつての横浜港への鉄道輸送の線路跡だということを確認しながら、海側へ進み、JICA横浜の海外移住資料館へ伺いました。
海外移住資料館では、明治以降、主にハワイやアメリカ合衆国、中南米などへ移住した人々について学ぶことができました。
赤レンガ倉庫では、かつては保税倉庫であった一方で、船舶の大型化などにより港の機能がより外側の埋め立て地に移転したことで役目を終えた倉庫を、観光客向けの商業施設にリノベーションしていることに気づきました。
近くの「象の鼻」は、横浜開港時の開港場を復元した地区です。ここは日米通商航海条約を締結し、貿易を実際に行った場所だということを資料や地域の案内版などから読み取り、日本の近代化を進める象徴的な場で当時の景観を想像しました。
また、日本大通りを横浜公園に向かって歩く中で、この付近は、江戸時代から砂嘴という地形の陸地であったことを絵図や地理院地図などから読み取りました。かつての砂嘴が現在も微高地として残っており、実際に歩く中で観察することができました。
午後は、開国当時に居留地として設定された関内エリアに入るための関所があった吉田橋を見学しました。
かつては居留地を堀で分けており、現在その堀には首都高速が通っています。関所の内側を「関内」といったことから地域の地名の由来になっていることを発見するとともに、吉田橋の吉田という地名は、関の外の地域が吉田新田という新田集落であったことに由来することを確認しました。
伊勢佐木町のイセザキ・モールでは、横浜駅周辺や横浜みなとみらい21地区周辺とは異なり、最寄り品を多く扱う地域の商店街の機能も持っていることを見学しました。
また、周辺には、海外にルーツを持つ人々が多く住むエスニックタウンやかつての工場労働者が集う地域が地区ごとに点在していることを見学から明らかにしました。格差の問題や高齢化の問題などについて考えるきっかけになりました。
元町地区に進むと、高級品を扱う店が多い特徴的な商店街で、ブランド化を進めていることがわかりました。台地に上ると学校や洋館が点在する山手地区に入りました。かつて外国の外交官が住んだ家などが点在し、観光地として認識されている一方、高級住宅地としての機能も共存していることがわかりました。

港の見える丘公園で横浜港を高台から見学し、最後は関東大震災のがれきによって埋め立てられた山下公園で解散しました。

横浜を一日かけて歩き、地域の歴史と地理を観察し学ぶことで、横浜が東京大都市圏や日本、アジア、世界の中で持っている機能や果たしている役割を再確認するとともに、
横浜という一つの都市の都心や都心周辺部のそれぞれの地域の特徴や都市の課題について考えを巡らせるフィールドワークになったことと思います。座学だけではない学びの面白さを少しでも感じてもらえていたら幸いです。