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2025/06/09 お知らせ

【4学年地理総合】学校周辺のフィールドワークを実施しました

5月下旬、4学年の地歴科「地理総合」の授業で、学校が所在する三鷹市新川地区を見学して回る、「新川フィールドワーク(巡検)」を実施しました。

まず訪れた仙川平和公園には、1945年5月25日に三鷹市新川地区の空襲で焼け残ったというプラタナスの木が植えられ、長崎県出身で井の頭文化園にアトリエがあった北村西望の「平和の像」が建立されています。学校を含め、戦時中は中央航空研究所での敷地であったことを確認しました。

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住宅街に入りしばらくすると、江戸時代の享保年間に建てられたという「庚申塔」を発見しました。庚申塔とは、60日に一回めぐってくる庚申の日に庚申講というグループで集まり、祈祷や宴会をする庚申信仰の中で建てられた象徴的なものです。遅くとも江戸時代には人の営みがあったことがわかりました。

仙川の湧水帯である丸池公園を通り、住宅街と農地が混在する地区に進みました。農地では、都市農業(近郊農業)がおこなわれており、台地上のため、野菜や果物などを中心とした作物の栽培が見られました。生産緑地地区の標示や、ロッカー式の農産物直売所なども観られました。ある畑では、昨年とは異なる区画に麦が穂を垂らしているのが観察され、東京での小麦の収穫は初夏であり、麦秋と呼ばれることや、畑作は連作障害が起きやすく、輪作が行われていることを確認しました。

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東八道路とのの交差点では、どの道が古く、どの道が新しいのかを旧版地形図と照らし合わせて確認し、東八道路が甲州街道のバイパスとして、モータリゼーションが進む中で甲州街道のバイパスとして順次開通し、地域にもたらした影響を考えました。古くからの街道では、近隣住民向けの近隣商店街が形成されているのに対し、東八道路沿いに広大な駐車場の要するロードサイド型店舗が観察されました。

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最後に、玉川上水から分岐した品川用水やさらに分岐した仙川用水の跡地を見学し、この地域が江戸時代の新田開発の中で畑作の農業が続けられていく一方、戦時中は軍需産業の一大拠点として、戦後の高度経済成長期には自動車産業を中心とした工業地域として、工業の海外移転(産業の空洞化)が進んだ昨今では、マンションや住宅の立地や企業の研究開発部門の立地が進んでいることを確認しました。

50分間でしたが、地域のさまざまな側面を見ることとなったフィールドワークとなりました。地理的な視点で地域の多角的な見方・考え方を得て、学習のみならず生活に生かしてもらえればと思います。