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2025/05/26 お知らせ

【国語📚×地理🌏】三鷹文学散歩(フィールドワーク)を実施しました!

2025年5月24日(土)の午後、国語と地理の教科横断的な取り組みとして有志生徒による「三鷹文学散歩(フィールドワーク)」を実施しました。

まず教室で、国語科から文学的な観点から太宰治の生涯についてや、代表的な作品、三鷹での暮らしぶりについて説明しました。

社会科からは、地理・歴史的な観点から三鷹の地域の概要やフィールドを歩く際の視点・注意点、地図の見方について説明しました。

座学による説明の後、学校を出発し、旧版地形図と現在の地図や景観を見比べながら、地域の特徴や時代ごとの変化を見て歩きました。

~学校→禅林寺~

学校前のバス通りは平成になってからできた一方、近くに通るバス通りは古くからあったこと、昔からある店のいくつかはそのまま残っていること、戦前から高度経済成長期には工場だった場所は現在大学や企業の研究所、マンションなどに変化していることに気づきながら進みました。
また、南北に細長い地割は、江戸時代の新田集落の名残であることや、そこに斜めに通る道は武蔵野台地の農業用水になった「品川用水」の痕跡であることも確認しました。

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三鷹市の新川地区から下連雀地区へ歩いていきました。下連雀・上連雀という地名は、1657年の明暦の大火(振袖火事)で江戸の神田・連雀町の人々が移り住んできたことを由来に「連雀」の名がつけられたと言われています。明暦の大火は、江戸の都市構造を変えるきっかけになる大きな事件の一つであることに触れました。
禅林寺では、森林太郎(鷗外)と太宰治のお墓参りをしました。太宰治は著作「花吹雪」の中で、森林太郎の墓について言及しており、これをうけて死後太宰の妻美知子が禅林寺に墓をたてたといわれています。森林太郎の墓は、墨田区内にありましたが、これも東京の都市構造を大きく変えることとなる1923年の関東大震災で被災し、移転してきたということです。

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~禅林寺→山本有三記念館~

その後、太宰の旧家の近くのみたか井心亭で太宰の家にかつて植えられていて、著作「おさん」にも登場する百日紅を見学しました。また、三鷹を代表する文学者で『路傍の石』などを著した山本有三の旧家、山本有三記念館の前を通り、太宰治文学サロンへ向かいました。

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~山本有三記念館→太宰治文学サロン~

太宰治文学サロンでは、解説パネルを読み、太宰の書籍を手に取り、さらに学芸員の方より解説をいただき、太宰治について理解を深めました。太宰というと退廃した暗い生活を送っているイメージが強いですが、三鷹時代の太宰は、家族との穏やかな生活の一面もあるということでした。

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~三鷹駅にて解散~

最後に、三鷹駅北口で、『武蔵野』を著した国木田独歩の「山林に自由存す」の石碑を見学して、解散となりました。

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