ニュース
2024/11/18 在校生
東京都心横断巡検(フィールドワーク)」を実施しました!!
2024年11月9日(土)、「東京都心巡検」として、地理的な視点から地域を見てまわるフィールドワークを実施しました。
当日は後期生の有志生徒16人が参加し、地理・歴史・公民の教員が引率・案内しました。
朝、月島駅に集合し、まず中央区の月島地域を歩きました。
戦災から逃れ、古い町並みと新しいタワーマンション群とが隣り合う景観を見ながら、観光地としても有名なもんじゃストリートを歩きました。
次に北側の佃島を訪問しました。江戸時代から続くコミュニティや商店を、江戸切絵図や旧版地形図を片手に、どこにいるか確認しながら進みました。
さらに北側の石川島では、江戸時代の人足寄場の歴史と、近代以降の造船を中心とした工場としての歴史、そして、バブル期前後からの再開発の歴史を学びました。
工場の郊外・地方・海外移転(産業の空洞化)とそれに伴うウォーターフロント開発について確認しました。
隅田川を渡り、新川地区(霊岸島)では、東京湾平均海面を定める霊岸島水位観測所・量水標跡を見学しました。
ここは、千代田区にある日本水準原点(標高決定の基準)を決定するために東京湾の平均海面(T.P.0m)を測ることを目的としてつくられた施設であり、日本測量史上重要な地点です。
湊・明石町地区は、都心周辺部に位置しており、歴史を感じる建物のほかに、再開発による新しいマンションなども立ち並んでいます。
ここでは、地理学論文の資料をもとに、都市地域が再開発により地価上昇する「ジェントリフィケーション」について議論しました。
また、この地域は、明治初頭の東京開市にともなって設置された外国人居留地の跡地でもあり、慶應義塾や立教学院などの発祥地としても知られており、多くの記念碑を見つつ歴史を感じながら進みました。
築地地区では、築地本願寺と築地場外市場を見学しました。
築地地区は、1657年の明暦の大火(振袖火事)をきっかけに、復興事業として埋め立てされ、「築地」の地名の由来となりました。明暦の大火で被害を受けた西本願寺もこの地に移転することとなりました。
また、築地市場があった場所は、明治期には海軍の土地でしたが、1923年の関東大震災をきっかけに、日本橋にあった魚市場が移転してきた歴史があります。
東京の都市の歴史を語るうえで欠かせない2つの出来事が街の様子を大きく変えた土地だといえます。
築地市場の豊洲移転後も、隣接した場外市場の商店街は健在で、多くのインバウンド観光客でにぎわっていましたが、いわゆるオーバーツーリズムの課題も散見されました。
次に、銀座地区へと移動しました。かつての築地川を首都高速道路が通っている様子を見ながら、歌舞伎座や銀座4丁目交差点を経由しながら進みました。
公示地価が1㎡あたり約5000万円といわれる、銀座の中央通りを歩きながら、高級ブランドの専門店や百貨店が並ぶ都心の商店街を見学しました。
また、一本細い通りに入ると雰囲気の異なる高級な飲食店が広がっていることを確認しながら港区の新橋地区へ向かいました。
新橋地区では、日本鉄道発祥の地であることを確認しつつ、サラリーマン向けの飲食店が広がっている状況を見ながら西へ進みました。
虎ノ門地区では、再開発でできた虎ノ門ヒルズを通り、海岸段丘上にある愛宕神社・NHK放送博物館へ向かいました。
NHKの施設が立地しているのは、日本初のラジオ放送拠点がこの地に置かれたためです。なるべく遠くへ電波を送れる高台が選ばれたということを学びました。
神谷町を抜け、麻布台ヒルズへと向かいました。麻布台ヒルズは2024年に開業したオフィスやショッピング施設などが入居する複合施設です。
かつては、台地を刻む谷あいの住宅地でしたが、再開発され現在もマンションの建設が続いています。
いわゆる人口の「都心回帰」が続く現状を学びました。また、森JPタワーは約330mで現在日本一の高さの超高層ビルでした。
再開発地区を見ながらさらに西へ進みます。
六本木地区では、オフィスや商店が入居するペンシルビルが林立するとともに、東京ミッドタウンや六本木ヒルズといった再開発された施設が立地します。
再開発地区のうち、東京ミッドタウンは防衛庁庁舎であった一方で、六本木ヒルズは多くの地権者がいるペンシルビルや家屋が立地している地区であり、デベロッパーの開発手法の違いが見える地域でもありました。
西麻布地区を抜け、青山霊園の脇を進み、青山地区へ入りました。谷あいに広がる住宅地を進み、尾根を通る国道246号線を越えました。
青山北町アパート跡地と再開発された「北青山三丁目地区まちづくりプロジェクト」地区を見学し、公共住宅の重要性や公共住宅をめぐる再開発の方法を考えました。
渋谷区に入り、神宮前地区の表参道が明治神宮の参道であることを地図上で確認し、かつては郊外地域の住宅地であったこの地域が、ブランドショップなどの形成に至る地域の歴史を議論しました。また、路地に入り、現在でも住宅地と商店が混在する神宮前地区を歩きながら、住所は神宮前であっても店舗や建物名に「原宿」「表参道」といった地名が使われ、地名がブランド化している現状を発見しながら坂道を下っていきました。谷底に下りると、キャットストリートと呼ばれる若者向けのファッション店が軒を連ねる通りに出ました。ここは、渋谷川の暗渠区間であり、かつては水田が広がる農村地帯であったことや、1964年東京オリンピックの前後に河川が暗渠化したこと、雑誌の紹介によりキャットストリートという名が定着し、若者文化の発信地の一つになったことなどを確認しました。
最後に、明治通りを渡り、MIYASHITA PARKを見学しました。宮下公園という公共施設が商業施設に再開発されたことにはどのような効果や影響があり、何を意味するのか考えたあと、渋谷駅前で解散しました。
今回の東京都心横断巡検では、下町地区と山の手地区を横断しながら実際に歩き、都心部(CBD)と都心周辺部(インナーシティ)それぞれの都市機能や、地区ごとの景観の移り変わりを観察しながら、都市が持つ機能の多様性やさまざまな課題を考察することができたと思います。
参加した皆さん、お疲れさまでした。