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東京都立田柄高等学校 全日制

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2022/03/01 TGR光が丘今昔

TGR光が丘今昔62 「山形県酒田市光ヶ丘」

山形県酒田市光ヶ丘一丁目~五丁目

 ① 正式住居表示(町名) 山形県酒田市光ヶ丘一丁目~五丁目

 ② 施行年月日      昭和40年 4月 1日

 ③ 施行前の旧町名    山形県酒田市新町字光ヶ丘

 ④ 現在の主たる地目   宅地

 ⑤ 町名(名称)決定した主たる理由

 市街地に字名があったため,市民の日常生活に不便を感じている名称も少なくなかった。そのため,住居表示制度実施により新町字光ヶ丘も現在の光ヶ丘に改めたと推測する。

 ⑥ 候補となった他の町名の例示

 特に無し。

 ⑦ 歴史的なものなど何か貴所「光が丘,光ヶ丘 等」で由緒あるもの

 本間家三代当主光丘にちなんで名付けられた。

 ⑧ 「が,ヶ,ガ」を使用した理由

 元々,字名が光ヶ丘であったため,そのまま使用した。

 ⑨ その他特記事項

 特に無し。

 

 山形県酒田市光ヶ丘は,日本海岸にある人口10万人規模の山形県第二位の都市である酒田市にある。雛飾りとしても有名な町である。町名としての光ヶ丘には、陸上競技場や野球場などの公共施設がある。また、市内には、光丘文庫、光丘神社などもある。ここの光ヶ丘の由来は,全国唯一の「本間光丘(ほんまみつおか)」という人名に依拠しているところに特徴がある。本間光丘は,酒田の大商人であったといい,庄内浜の黒松林の植林を初めとした公益事業は極めて有名であり,酒田市において代々伝えられているという。酒田市のホームページによると本間光丘の功績に次のような記述がある。

 

「本間光丘(ほんまみつおか)の公益

 最盛期には,約3000[ha]もの水田を所有し,日本一の大地主といわれた本間家もそうした豪商の一つですが,その本間家の礎を築いたのが3代当主本間光丘です。光丘は,商人としての才能が抜群であっただけでなく,その一つが,光ヶ丘として名を残す地域への植林事業を行った。これは,最上川の土砂による庄内平野と海岸線の砂丘地帯の冬期間の季節風による飛砂を避けるための植林事業に私財を投じ,34[km]の黒松林が残っている。」(酒田市役所;2003)

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