校章

東京都立田柄高等学校 全日制

動画はこちら

ニュース

2022/02/25 TGR光が丘今昔

TGR光が丘今昔61 全国の"光が丘"

全国の”光が丘”

全国に総務省(旧自治省)が掌握している「ひかりがおか」は、24余りあります。明確な数字にできないのは、町名として認知されているものと所謂「字」名として使われているものがあるからです。町名に昇格する場合もあれば、新たに命名される場合もあり、時々刻々と変化しているからです。TGR光が丘今昔7で、後でお話しするつもりにしていたことをここで触れることにしましょう。

私は、この仕事を始めた平成13年以降、現在では全国の「光が丘」を踏破しています。恐らく、こんなことをしている人は日本国内でも私くらいでしょう。しかし「光が丘」研究家を自認している限りは、放置しておくわけにはいきません。一方で、その多くが住宅地であるために、一人で(あるときは家内にどうしても行きたいから付き合ってくれと頼みこんで家族旅行のときに少し足を延ばして訪問した光が丘もいくつかあります)カメラをもって観光地でもないところを歩いていると、不審者にしか思われません。私は、初めて訪れる光が丘にワクワクしながら、一方で不審者と思われないよう、いかにもその光が丘の地にいつも所用があるような素振りをしながら訪問しました。

町名「ひかりがおか」のその多くの特徴は、住宅地である(特に新興住宅地が多い)こと、山や丘を切り開いて作られた町が多いため、起伏に富んでするところが多いことが特徴です。一方で、山形県酒田市光ヶ丘のように、商港酒田の繁栄に尽力を注いだ本間光丘氏のように人名から命名されたものもあります。

練馬区光が丘も戦前は、現在の光が丘の北側と南側は、肥えた土地であったのに対して、光が丘中部は東西に田川用水と田柄川が流れていたため、台風などでは大水が出るような低湿地帯でした。そのため、標高差はある程度ある起伏のある土地でした。戦時中、成増飛行場建設のため、平地とするために南北を削り、田柄川は土管で地中に埋めて、平坦な土地になりました。戦後、グラントハイツ期もそのまま使用されたため、平坦な土地となっています。このような地形の「光が丘」は、全国的に見て少数派です。

私が記憶にある範囲で、一番起伏がある「ひかりがおか」は、「広島県広島市東区光が丘」と「兵庫県宝塚市光ガ丘」でしょう。広島県の光が丘は、JR広島駅新幹線口(北口)から1kmあまりの至近なところにあります。二葉山緑地を切り開いたところを住宅地としたためだと思います。宝塚市の光ガ丘は阪急今津線宝塚南口駅が最寄り駅ですが、宝塚駅からバスに乗った方が楽です。ここも新興住宅地の中にありますが、息せき切って歩いたのを思い出します。このようなかなり起伏のある「ひかりがおか」は少ない方ですが、多くはなだらかな丘陵地にある光が丘が実態となっています。(第十二代校長 加藤竜吾 記)