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東京都立田柄高等学校 全日制

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2022/02/21 TGR光が丘今昔

TGR光が丘今昔59 光が丘黎明期7

 昭和60年4月1日には,練馬区立光が丘第三小学校,光が丘第七小学校,光が丘あかね幼稚園,光が丘第五保育園,光が丘第六保育園,光が丘たんぽぽ学童クラブ,光が丘あさがお学童クラブを開設した。5月1日には,光が丘団地内郵便局の開局。7月11日には,運輸政策審議会は都営地下鉄12号線の大泉学園町までの延長を答申した。昭和60年の公園整備は,弓道場とその周辺の整備が行われた。

 昭和61年4月1日には,練馬区立光が丘第五小学校,光が丘むらさき保育園,光が丘第七保育園,光が丘つくし学童クラブ,光が丘どんぐり学童クラブ,光が丘コスモス第二学童クラブ,春の風公園,警視庁練馬警察署光が丘三丁目派出所を開設した。6月13日には,都営地下鉄12号線第一期工事の本格工事に着手した。又,11月1日には,練馬区医師会立光が丘総合病院が開設した(練馬区総務部情報公開課;1995)。昭和61年の公園整備は,グリーンロード,公園橋,中央広場,光のアーチ,管理事務所の新設の整備が行われた。又,光が丘住民組織連絡協議会が発足し,初代会長に中森和明氏を選出した。

 昭和62年4月1日には,練馬区立光が丘第二小学校,光が丘第二中学校,光が丘第八保育園,光が丘すずらん学童クラブ,光が丘なでしこ学童クラブ,あかねぐも公園,花とみどりの相談所を開設した。この年には,光が丘商業地区IMAが完成した。初期には,百貨店,専門店,量販店をコンセプトとした光が丘西武,フランツなどが開設された。又,医療施設としては,練馬区医師会光が丘総合病院も開設された。有線放送IMA・CATVも開設された。そして,昭和62年に,最終人口約4万2000人の光が丘団地が完成した。昭和62年の公園整備は,最終年度であり,庭球場の夜間照明の設置や時計塔の設置などにより完成した。なお,昭和62年には,練馬区議会の特別委員会として昭和44年から設置されていた「グラントハイツ跡地等対策特別委員会(旧グラントハイツ対策特別委員会)」を「市街地整備特別委員会」としてグラントハイツ跡地を含む市街地整備の広範を対象とする特別委員会に発展解消した。