校章

東京都立田柄高等学校 全日制

動画はこちら

ニュース

2022/02/18 TGR光が丘今昔

TGR光が丘今昔58 光が丘黎明期6

 昭和58年3月1日光が丘地区等の住居表示施行により変更が実施され,東京都練馬区光が丘1番地から現在の光が丘一丁目から光が丘七丁目まで変更がなされ,むつみ台団地は光が丘一丁目となり,まず光が丘五丁目の入居から始まった。同じく「ゆりの木通り」を開設した。4月1日には,練馬区立光が丘第一小学校,光が丘第二保育園,旭町第二保育園,光が丘あじさい学童クラブを開設した。ちなみに住宅地区は,次いで,昭和60年光が丘三丁目と光が丘六丁目,光が丘七丁目,昭和62年に光が丘二丁目の入居が終了している。

 昭和58年6月1日には,光が丘公園の運動施設の利用が開始された。これに伴い,この年の公園整備は,スポーツ施設の説明板の設置,売店の新設,バードサンクチュアリーの池などの造成が行われている。又,6月30日に都営地下鉄12号線計画路線の東京都提案がなされた。7月2日には旭町南地区区民館の開設,9月30日に東京都練馬清掃工場光が丘分工場の稼動が開始された。

 昭和59年には,3月23日練馬区役所光が丘出張所の開設,4月1日には,練馬区立光が丘第四小学校,光が丘第一中学校,光が丘第四中学校,光が丘第三保育園,光が丘コスモス学童クラブ,警視庁練馬警察署光が丘公園派出所を開設した。そして4月よりバスの運行が開始された。これは,豊島園地区,平和台地区,石神井公園地区,成増地区からを基本としたものである。しかし,交通過疎地としての不便さは,初期の入居者には大変なものであったという。その後,都営地下鉄の開業まではバスだけが頼りであった。

 昭和59年9月1日,練馬区立光が丘第四保育園の開設が行われ,10月4日に練馬区医師会立病院の誘致が決定した(練馬区総務部情報公開課;1995)。昭和59年の公園整備は,牛房地区との連絡歩道橋の設置などが行われている。