校章

東京都立田柄高等学校 全日制

動画はこちら

ニュース

2022/02/17 TGR光が丘今昔

TGR光が丘今昔57 光が丘黎明期5

光が丘公園整備の一方で,昭和52年5月11日,「グラントハイツ跡地計画会議」は,懸案であった住宅戸数問題を練馬区の要望通りの12,000戸とすることで決定した。これで大まかな方針が確定したわけであるが,新たに浮上した問題として,この地区と周辺地区とのゴミ問題に対応した「清掃工場問題」が浮上している。これには,東京都清掃局が絡み,練馬区民の陳情書に基づき,昭和53年4月13日に「グラント・ハイツ清掃工場建設計画素案に対する要望書」を練馬区議会は議決した(練馬区史編さん協議会;1981)。

この問題は,より中心部に移動することで昭和53年11月29日合意を得た。そして,東京都都市計画局は,昭和54年1月24日「グラントハイツ跡地開発計画」を公表した。これは,昭和53年12月に出された会議決定のものと同様のものである。

開発にあたり,昭和53年にはグラントハイツ内の野犬を掃射して一掃した。昭和54年9月1日の防災の日に光が丘運動場にて東京都の大規模総合防災訓練が行われている。昭和55年10月に東京都水道局練馬給水所が完成した(練馬区総務部情報公開課;1995)。

昭和56年に入ると,2月17日に「都営地下鉄12号線促進連絡協議会」の発足,4月1日に東京都立田柄高等学校開校,光が丘清掃工場の着工,団地の着工が始まり,6月18日には,「光が丘地区医療施設構想協議会」から構想試案を練馬区長に答申した。この年には,日本科学技術情報センター情報資料館が開館した。

昭和57年6月1日に,「光が丘地区開発推進本部」の設置,12月7日に,「光が丘地区医療施設誘致構想」が決定した(練馬区総務部情報公開課;1995)。又,公園整備は,この年に野球場4面や陸上競技場の芝生に着手している(戸田,東京都光が丘公園管理事務所(編);1988)。