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東京都立田柄高等学校 全日制

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2022/01/25 TGR光が丘今昔

TGR光が丘今昔50 グラントハイツ返還運動2

グラントハイツ返還運動

昭和44年9月25日には,片健治練馬区長が東京都知事に会見し、視察後の練馬区議会は,「グラント・ハイツ返還に関する意見書」を満場一致で採択しました。

 

グラント・ハイツ返還に関する意見書(練馬区議会;1969)

グラント・ハイツ返還に関する意見書

 

 練馬区民の多年の念願でありましたグラント・ハイツの全面返還につきましては,政府関係当局のご努力により,急速な進展をみつつありますことは誠に喜びとするところであります。

 したがいまして,ここにグラント・ハイツを一日も速やかに解放して,我々区民のみならず都民のための施設を中心に緑を最大限に確保するようお願いいたします。

 その利用計画ついては,長い間犠牲を払った経過をご賢察願って,練馬区の意見を尊重し,立案いただきますよう,要請いたします。

 右,地方自治法第九十九条第二項の規定により意見書を提出いたします。

 

昭和四四年一〇月三日

練馬区議会議長 橋 本 銀之助

内閣総理大臣 

大蔵大臣   

外務大臣   

総理府長官  

防衛庁長官  

防衛施設庁長官

東京都知事  

昭和44年末には,解放後の跡地利用について民間でもさまざまな議論がされることになりました。昭和44年10月に「練馬をよくする会」が行った旭町,高松を中心とした895名の住民に行った跡地利用についてのアンケート結果によると,60[%]以上の人が公園を求めており,半数の人が病院を求めています。練馬区の公共施設の状況から切実な様子が伺えます。ちなみに,この他には,多い順に郵便局,野球場,児童館,公会堂,公衆便所,公団住宅,青年会館,公共駐車場,公営劇場,都住宅供給公社などを掲げています。これら,全てが現在の「光が丘」は兼ね備えられていますが,この頃からの運動の成果といえましょう(練馬区史編さん協議会;1981)。

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