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東京都立田柄高等学校 全日制

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2021/12/01 TGR光が丘今昔

TGR光が丘今昔30 Grant Heights施設概要 その2

Grant Heights施設概要 その2

川越街道のゲート周辺の赤塚新町付近には,米軍相手の横文字の看板を出した店が建ち並んでいました。アメリカ人好みのカラフルな衣装や珍しい品々の店,ポーンショップなどに日本人は目をみはりました。日本女性のいるカフェーもありましたが,朝霞のキャンプ朝霞と違いグラントハイツは家族住宅であったため,治安は良好だったといいます。一方で,成増・赤塚の一帯にバーやキャバレーが乱立し,パンパンもたくさんいたと云われていわれています。最後まで残されていた赤塚新町の中谷久子邸の“Fuji”というSouvenir Shop跡(写真)も近年取り壊されました。大変残念です。

啓志駅近くには基地内全戸への給湯を確保するボイラー工場がありました。そのため,冬期も積雪なく,芝も青々としていたといました。このボイラー工場は,グラントハイツの2本煙突として有名でした。このボイラーは,1日200[t]もの石炭を燃やしたといい,24時間煙が出ていました。人夫は60人の3交代制を取っていて,計180人もの人が石炭を運んでいました。イメージとしては,「千と千尋の神隠し」に出てくる「窯爺」のイメージでしょうか。その後,費用がかさむために重油に切替えられて石炭の運搬は中止になり,昭和26年6月,啓志線輸送は基本的に中止されました。

基地北西の825番地の牛房にはグラントハイツ内の基地の汚水処理場が作られた。消火栓や貯水槽も完備していたといい,周辺の田柄地区での火事などでも防火施設が役立ちました。

夏季の害虫駆除では飛行機によるDDT・BHCなど空中散布が度々行われたといい,近隣の住宅地でも作業を行われました。従って,蚊や蝿などは全くいなかったというが,そのため,虫により種子を付ける作物の栽培ができなくなったともいわれています。更に,周辺農家は鶏20羽,豚3頭,牛1頭以上の飼育は,禁じられた。更に,人糞などの肥料の使用も禁じられました。(第十二代校長 加藤竜吾)

fuji