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東京都立田柄高等学校 全日制

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2021/10/22 TGR光が丘今昔

TGR光が丘今昔23 お玉が池

お玉が池(於玉ヶ池)

かつて光が丘には湧水がありました。その一つがお玉が池です。

白子川の支流であり、現在の光が丘の北側から牛房まで流れ込んでいました。 
於玉が池支流は、光が丘公園から兎月園を通り成増台地に深い谷を刻んで流れていました。その東は百々向川が、西は「旭町はんの木緑地」となっています。

「みどりと水の練馬」に拠れば、明治9年の下土支田村「明細書上帳」に、東西11間(20m)、南北21間(38m)、周囲66間(120m)の「於玉が池」として、明治7年の「東京府志料」に、周囲60間(109m)ほどの「御玉が池」として記録が見られるといわれています。しかし1943年、陸軍成増飛行場建設により、於玉ヶ池は谷ごと埋め立てられてしまいました。場所的には、グラントハイツ時代に下士官クラブがあった現在のヒマラヤ杉の大木がある付近です。

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