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東京都立田柄高等学校 全日制

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2021/10/21 TGR光が丘今昔

TGR光が丘今昔22 土支田八丁堀

土支田八丁堀

練馬地区の河川は,荒川へ注ぐ一級河川の白子川や神田川へ注ぐ石神井川などの河川が古くからの主要な河川です。これらの源泉は,武蔵野特有の湧水です。しかし,この他にも他の河川から引かれた田柄川と呼ばれる農業用水や,現在の旭町地区にあった貧困から逃れようと農民が水田開墾用に掘った灌漑堀の八丁堀などがありました。歴史的には,土支田八丁堀は田柄用水がない時代からのものであり,かなり古く土支田地区に丈八尺 大水車が並ぶ田園地帯でもありました。これらは,成増飛行場時期に主滑走路の雨による冠水などにより田柄川が排水に使われたこともあるといいます。
写真は,光丘高校南側にある八丁堀児童公園に記載されている案内文です。八丁堀は,現練馬区旭町周辺の集落を指していました。元々,高台にあるこの地域は農業用水にも乏しく,灌漑堀を作ったことから江戸時代には呼ばれていたようでした。八丁堀のアクセントは,「はっょうぼり」ではなく,「っちょうぼり」として「」に置かれていました。現在「八丁堀」は,この練馬区教育委員会指定の無形文化財である「八丁堀三吉囃子」とこの「八丁堀児童公園」に名を残すのみとなってしまっています。もう一つの写真は,9月練馬区立旭町小学校で行われている広場の祭典における八丁堀三吉囃子の演奏の様子です。最後の一つは、西八丁堀(現在の旭町南地区区民館付近)田柄用水が流れ込む付近にある「ミニ八丁堀?」です。

練馬区旭町にある八丁堀児童公園に記載されている案内文
八丁堀児童公園
その昔,寛文三年(一六六三年)頃,この地方は,武蔵国土支田村字八丁堀と称し,時代の変遷と共に,東京府北豊島郡下土支田村,東京市板橋区,練馬区旭町とうつり変り,現在のように開発されて来ました。その影には,古くから,この地方に住み,困難な生活に堪えて来た先住者たちの苦労が偲ばれます。そのような困難な生活を改善すべくつくられた用水堀の工事はおそらく難工事であったことでしょう。この堀が約八丁(九百米)であったところから八丁堀の名が生れたと言い伝えられています。
各地で地名の変更等が盛んに行なわれ,由緒ある地名が消えていく昨今,この八丁堀の名称を残したいと思う多くの住民の総意に基づき,この公園を八丁堀児童公園と名付け長く八丁堀の名を保存し,発展を願いたいものです。
 旭町一丁目町会
 光が丘第一自治会

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