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東京都立田柄高等学校 全日制

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2021/09/27 TGR光が丘今昔

TGR光が丘今昔17 「掩体壕」

<掩体壕(えんたいごう)>

成増飛行場における戦闘機「鐘馗」、「疾風」は、初期に30機あったものが、末期には90機あったと云われていています。掩体壕(えんたいごう)はこれら単座戦闘機を空襲等から守る戦闘機の格納庫のことで、光が丘周辺にも多数存在しました。初期のものの一部は鉄筋製もあったようですが、一般に竹材を利用した竹筋コンクリート製でした。上には、土や麦、葦などの草木で偽装していました。時には、空襲時の周辺住民の防空壕代わりの役割も果たしていました。即ち、掩体壕の目的は、第一として戦闘機の格納庫、第二として空襲時の防空壕としての二つの目的がありました。

掩体壕の製作は、1か所ごとに井戸を掘り、ポンプを付けて水を揚げてコンクリートをこねて造るという大変なもので、24時間作業で建設したといいます。その大きさは、幅約20[m]、高さ5[m]、奥行き13[m]、コンクリートの厚みは50~70[cm]でした。

戦後もつい最近(30~40年前)まで田柄町やむつみ台団地周辺にあったが、最後の1基は、平成6年くらいまで田柄四丁目に残っていました。しかし、現在は、公式にはすべて失われてしまっています。戦後、グラントハイツ期に米軍が倉庫に利用していたという話もあります。

昭和20年4月~5月頃には、空襲を避けるために本部を解体し拠点を分散したり、木で作った偽物の第43飛行場大隊戦闘機を見える場所に置いて、本物は分散して掩体壕に隠したり、荒川の笹目橋附近の河川敷に偽装成増飛行場を作ったりした、ベニヤ板で作った偽物の飛行機を置いたりという偽装工作などしたといいます。

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