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東京都立田柄高等学校 全日制

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2021/08/27 TGR光が丘今昔

TGR光が丘今昔9 「東京2020の海の森会場は昭和初期から計画があった?」

「東京2020の海の森会場は昭和初期から計画があった?」

東京2020オリンピック・パラリンピックは都内の様々な会場で行われました。カヌーやボート競技が行われた「海の森」は東京湾の埋め立て地にあります。

でも、何で「海の森」というのでしょうか?

東京湾に浮かぶ中央防波堤内側の埋立地は生活廃棄物等からできた人工島です。 この埋め立てられた島を植林活動により、美しい森に生まれ変わらせる計画を海の森と呼んでおり、人間や都市と自然との共生を願っています。

これだけ言えば、光が丘と何が関係あるのか不思議に思うかもしれません。

実は、昭和初期に当時内務省は諸外国の都市計画に倣って、東京の周辺地域に緑地帯を設けていく土地利用計画を立てていました。現在の山の手・武蔵野地域です。大泉緑地、小金井緑地、神代緑地、調布緑地、駒沢緑地、砧緑地です。これらの地域は、現在も都市公園や飛行場になっていますよね。これは、昭和初期に、すでに都市化による問題を抑えるために計画され、昭和13年までに完成し、昭和14年に内務大臣告示で当時東京府が施行しました。

しかし、太平洋戦争で状況は一変しました。練馬地域の大泉緑地は、現在の練馬区内の東西にほぼ全域だったのですが、飛行場計画のため東西を南北に変更しました。これは、皇居護衛のための飛行場でもありました。それが、後の陸軍成増飛行場であり、現在の光が丘なのです。

本当は、都内を一周する緑地計画を検討したかったと思うのですが、当時、海上の東京湾はその範疇に入りません。その考えが「海上埋め立て」として21世紀になって復活したのが、「海の森」計画なのです。(第12代校長 加藤竜吾 記)

海の森構想 答申|港湾局のご案内|東京都港湾局公式ホームページ

東京都港湾局の資料から引用 (この絵図、何となく「光が丘」にも形が似ていませんか?)