校章

東京都立田柄高等学校 全日制

動画はこちら

ニュース

2021/08/20 TGR光が丘今昔

TGR光が丘今昔7 「光が丘の地形は平坦?」

「光が丘の地形は平坦?」

東京都練馬区光が丘は、昭和40年代に42000名の居住者を目指す東京都23区内最後の開発地として、21世紀型の高層ビル群の住宅団地として整備されました。云うまでもなく、大きな起伏もなく、光が丘全体が平坦な土地となっています。

しかし、戦前、昭和初期までは異なりました。現在の光が丘の北側と南側は、肥えた土地であったのに対して、光が丘中部は東西に田川用水と田柄川が流れていたため、台風などでは大水が出るような低湿地帯でした。そのため、標高差はある程度ある起伏のある土地でした。

戦時中、成増飛行場建設のため、平地とするために南北を削り、田柄川は土管で地中に埋めて、平坦な土地になりました。戦後、グラントハイツ期もそのまま使用されたため、平坦な土地となっています。

現在の光が丘公園北側周回路を見ると、成増飛行場建設のために盛り土をしたと思われる起伏を写真の通り見ることができます。光が丘開発中は、もっと北側が崖上になっていたのを記憶しています。これが、当時の唯一の名残のように感じています。

P1010018.JPG

さて、全国に「光が丘」という町名がつくところは、約24か所あります(「約」としたのは字名か行政上の町名か判別つきにくい事例もあるため)。その大半は、決して平坦ではありません。全国の「光が丘」を踏破した筆者の感想です。このことは、また別の機会にお話しすることにしましょう。(第十二代校長 加藤竜吾 記)