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東京都立田柄高等学校 全日制

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2021/08/17 TGR光が丘今昔

TGR光が丘今昔5 「阿夫利神社」

「阿夫利神社」

「阿夫利神社」は、神奈川県伊勢原市の大山にある神社です。現在でも多くの信仰者と登山家に親しまれている山です。そして、その本社に向けて全国各地に「大山講」があり、「講」の白装束で先導師による大山詣をすることは、江戸時代から庶民にも親しまれた旅行でもありました。富士山と大山を廻ってくることは両詣とも呼ばれ、親しまれていました。実は、この光が丘にも阿夫利神社の分社が戦前存在していました。多くの旧版地図や地形図でも確認することができます。場所としては、旧長命寺道と旧長久保道の交わる旧高松交差点付近で、地形社(編)1941(復刻版)に拠れば、板橋區練馬高松町一丁目4112番地(戦前の練馬区は板橋区です)となっています。現在の場所でいえば、夏の雲公園内になります。

この練馬高松の阿夫利神社については、私は次の仮説を立てています。一点目は、直接大山まで大山詣ができない人々のための分社、二点目は、高台にある(戦前この地区の高低は田柄用水と田柄川の北側と石神井川の南側に挟まれた肥えた土地でした)ため、農作物のための雨乞い(阿夫利神社は雨降り神社でもあります)のための分社です。

昭和18年に建設された陸軍成増飛行場のため、一時期は、移転又は神社合祀がなされていたものと考えられますが、この阿夫利神社については多くの地図等で存在したことは確認できるものの、神社庁を初めとした様々な資料、或いは写真1枚でも現時点では記録として残されているものはありません。場所的には、成増飛行場の主滑走路の南端に当たりますから、当然そのときにはこの場所に神社なかったと考えられます。

しかし、不思議なのは、戦後、日地出版が発行するいくつかの年の地図には、グラントハイツ内の将校クラブ(Commissioned Officers Club)に隣接した場所に描かれており、グラントハイツが返還された1978年版の同社の地図にも、まだ造成中で何もない光が丘の中にポツンと「天夫利神社」と書かれている地図が発行されているのです。これは、非常に不思議なことです。ちなみに、ほかの地図や地形図等では確認できていません。ちなみに将校クラブ脇に当時あった欅は、現在も内田クリニック近くに大木となって存在し、同地点を教えてくれます。もちろん、周辺のどこを探しても「阿夫利神社」に関するものはありません。

アメリカ人は、思いのほか、その国のことを思ってくれるところもあり、もしかすると入ることができなかったグラントハイツ内に阿夫利神社を再建してくれていたのかもしれません。しかし、そのことも現在では知る由もないところです。

私にとってはこれは20年来のResearch Questionなのですが、未だ私にとって光が丘の解決できていない課題の一つです。もし、どなたかご存じの方がいたら、ぜひ教えてください。アメリカからの情報でも大歓迎です。(第十二代校長 加藤竜吾 記)

P1010002.JPG旧将校クラブ脇にあった「欅」

P1000996.JPGもし日地出版の地図が正しいものと仮定すると夏の雲公園のこの辺りに「阿夫利神社」が存在したことになる