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東京都立田柄高等学校 全日制

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2021/08/03 TGR光が丘今昔

TGR光が丘今昔1 「田柄橋」

「田柄橋」

「田柄橋」、「上田柄」、「中の宮」、「丸窪」と聞いて、現在どれだけの方がお分かりでしょうか?

現在の「田柄高校」バス停は、かつては「田柄橋」バス停でした。「田柄橋」とはグラントハイツから豊島園通りにかかっていた田柄川の橋の名称です。位置としては秋の陽公園の前の横断歩道のあたりになります。ただ、「橋」という印象はほとんどなく、むしろグラントハイツの「田柄口」の印象の方が強いかもしれません。練馬から下赤塚まで至る「豊島園通り」は、バス通りであるにも拘らず、現在もその大部分が片側一車線の幅員の狭い通りです。しかし、光が丘秋の陽小学校から田柄高校角交差点を通り、川越街道の赤塚新町三丁目の交差点「帳元」まで拡幅されました。田柄高校建設予定地の写真では、現在田柄高校前にある田柄特別養護老人ホームにバスの転車場もあったことが分かります。グラントハイツ返還後の(行政上の)田柄川最上流域には、土管から僅かな水が流れている田柄川の源流がありました。この頃すでに田柄川が暗渠となり田柄川グリーンベルトができてからも、秋の陽公園ができるまでは、見られた光景です。本校は、開校2年目の昭和57(1982)年に現在地に移転し、直後にバス停の名前も「田柄高校」に改められました。この頃、道路拡張工事も行われています。当時の本校では、旧練馬区立光が丘第四中学校(新しい練馬光が丘病院の位置)が本校の仮設のグラウンドでしたので、田柄川最上流域にあった欄干のない名もない「橋」を渡って体育の授業が行われており、また緊急避難路としてもしばらくの間活用されていました。

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下赤塚方面成増駅行きの「田柄高校」バス停には、バス待ちの生徒用の椅子を配置させていただいています。どうぞご自由にご利用ください。

 

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左の写真は現田柄高校前の昭和56年初めの田柄橋の様子。バスの停車している所が田柄特別養護老人ホームのところです。手前は現在の秋の陽公園です。

右の写真は現田柄高校の西側から空撮したもの。田柄川最上流域が見えます。また、左上に啓志駅のプラットホーム跡も見えます。(いずれも田柄高校所蔵)

 

ちなみに「上田柄」は昭和初期のこの周辺の地名でもありましたが、現在の「練馬高校」バス停です。また「中の宮」は現在の練馬春日町駅前の交差点のことです。国際興業バスは既に当時「春日町二丁目」のバス停でしたが、西武バスはしばらくは「中の宮」バス停のままでした。現在の練馬春日町駅前は、環状八号線と補172号線(桜台-光が丘南)も開通したため複雑化されました。かつての春日町の交差点は、富士街道(大山道)と豊島園通りの交差する小さな交差点でしたが、交通の要衝でもありました。富士街道と豊島園通りが重なる愛染院側が、その面影をかろうじて残しています。

バス路線は異なりますが「丸窪」は現在の平和台駅前の交差点のことです。練馬北町一丁目から丸窪まで昭和40年代にはすでに富士街道は拡幅されていましたが、「丸窪」バス停からの富士街道は、まだかつての細い道のままでした。「丸窪」は陸軍成増飛行場の建設予定地になりかけたこともありました。(第十二代校長 加藤竜吾 記)