校章

東京都立墨田川高等学校

制服・校章・校歌

男女の秋冬服の写真

制服

男子は伝統の学ラン。
女子はピンクのラインが入ったスカートにブレザー。
リボンとネクタイの2つが選べます。

本校の服装(制服)について

 1 現在の制服について

 本校が平成12年度より「進学重視型単位制高校」となり、「七中を復活させる、伝統を繋げる」ために、生活指導を充実させる観点から、平成18年度より現在の制服を導入しました。
 また、平成31年4月より、女子の制服にスラックスとネクタイを追加しました。
 現在の服装に関する規定は以下の通りです。(生徒手帳より抜粋)

男女の春夏服の写真

夏服

 2 本校の制服の歴史(過去の周年記念誌より抜粋)

  1. ①七中時代の服装
  2.  大正11年4月の入学式では、両親に付き添われて着物袴の姿で希望に燃えながら、砂崎徳三校長の訓辞を受けたようです。
     また、制服は黒と紺の二種類あり、生地も二種類あり、自由度が高かったようです。さらに、夏服は木綿の霜降りの上下でした。
     その後、羅紗の詰襟の金ボタンの制服(胸に名札)となり、七中の桜の帽章の付いた帽子(海軍型)をかり、編み上げの靴を履き、白いカバンを肩に掛けるようになりました。夏は、帽子に白い覆いをかけました。
     戦時体制下のころは、戦闘帽にカーキ色の制服、ゲートル着用でした。
  3. ②新生墨田川高校のころ
  4.  昭和25年4月 女子生徒入学に伴い女子の制服が追加されました。
     女子生徒を全て集めて討論会を行い、制服を決めていきました。セーラー服希望が圧倒的に多かったようですが、背の大きな生徒が「こんなに大きいのにセーラー服は着られない。大きい子は私だけでなく、これからどんどん身長も伸びるから」という意見が出て、背広になりました。そして、いろいろ話していき、上下が分かれているのはおなかを締めるからよくないというので、ジャンパースカートにしてベルトをし、上は背広ということになりました。
     また、共学になる前は、男子ばかりで帽子をかぶっているので、校章がついています。ところが共学になると女子は帽子をかぶらないので、襟章が必要ということで、バッジが決まりました。
  5. ③制服自由化のころ
  6.  昭和43年4月頃、服装規定問題が議論され始め、帽子の着用自由やズボンの折返し自由が進んでいました。
     昭和47年2月18日に服装問題検討委員会が開催され、昭和47年4月7日より生徒の要請により制服自由化のためのテスト期間に入りました。
     そして、9月9日に服装問題三者懇談会が開催され、9月30日に新服装規定を保護者に配布し、制服は廃止し標準服となりました。
校章の画像

校章は、本校の環境に応じて考案されました。創立当時は、東京府立第七中学校でしたので、墨堤の桜花の中に校名の『七中』を浮かしました。
また、「さくら」の花に枠をつけてあるのは、植物の種子を寓意(ぐうい)し、上部の一花弁がツヤケシで、更に枠を除いてあるのは、その種子が今、正に種子の一部を破って、威勢よく発芽せんとする状態を示しています。
つまり、『發刺(はつらつ)として、常に向上発展をつづける』という事を意味しています。

昭和23年(1948年)の高等学校設置基準法により、東京都立第七高等学校と改称し、校章の桜花の中の校名『七中』を『七高』と変更し、「さくら」の花のデザインも現在のように変更しました。 昭和25年(1950年)に東京都立墨田川高等学校と校名を変更しましたが、校章はナンバーを残したまま変更はしませんでした。

校歌

校歌の画像