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2025/01/30 お知らせ
校名の由来と浅草橋移転のこと
校名の由来
「忍岡」は、現在の上野公園付近一帯をあらわす地名でした。
本校の前身である日本女子美術学校時代(1906)から浅草橋に移転(1940)するまで、「忍岡」と呼ばれた地にありました。
忍岡一帯は、江戸幕府による好文館という学校や、5代将軍徳川綱吉によって孔子廟が建てられたことから、学問発祥の地として名高いのです。
浅草橋に移転後も、この伝統ある「忍岡」という名を冠しています。本校の沿革はこちら
『東京都立忍岡高等学校同窓会 鶯溪会の百年』(2018年鶯溪会編)より
鶯溪会のHPはこちら
浅草橋移転
同書に以下のような記述があります。
「上野から現在地へ移る際、蓬莱園をつぶして学校をたてることについて、相当の反対があった。今の時勢では到底できなかったに違いない。東京における緑地の確保のため。(中略)それを当時の東京市当局があえて踏みきったのは、庭園よりももっと重要な「人材」を作りたかったからであった。第十三代三室岩吉校長(母校創立65周年記念誌「鶯溪」より)」