校章

東京都立久留米西高等学校

277粒目:出勤しました でも、今日は想像して静かに想う日にします

2023/08/15

 しっかり夏休みをいただき、今日から学校で勤務しています。特に大きな事故の報告を受けることがなくひとまずほっとしたのもつかの間、まずは山のように積まれた書類と格闘しました。

 午前中を書類や事務的な処理に追われて過ごしたところで、ふと時計を見ると11時50分でした。そこで校長室のテレビをつけて日本武道館で行われている全国戦没者追悼式を見ました。12時ちょうどに1分間の黙とうの時間がありました。静かに思いを馳せる時間を過ごしました。

 前回の276粒目で私が帰省していた話をしました。その帰省している間の8月10日、母方の実家を訪ねた帰りに裏山の反対斜面にある「鳥取縣護國神社」(とっとりけんごこくじんじゃ)を訪ねました。こちらの神社は明治元年に戊辰戦争で戦死した藩士を祀って以来幾度かの戦争で戦死された鳥取県人を祀っている神社とのことです。小学生のころから母方の実家には何度も泊めてもらっていたし、自転車で鳥取砂丘に行って遊んだりしていましたが、こちらを訪れたことがなかったのでちょっと寄ってみようと思ったのでした。拝殿の脇には特に先の大戦に出征されて亡くなられた方の写真が飾られている場所がありました。主に昭和19年11月以降に多くの鳥取県人が送られたフィリピン戦線で戦死した方です。亡くなった日と場所がそれぞれの写真の下に記載されている様子は、沖縄の「ひめゆり資料館」のようです。その写真の1枚1枚を見ながら、ふと気づいてしまったことがありました。

 それは、掲示されている戦没者のうち、何人かの方の亡くなった日が「昭和20年8月15日」より後だということです。確か8月16日の方が2人、最も遅い方が9月に入ってからでした。また8月15日の方もいらっしゃいました。

 気づいた後は様々な視点からの「想像」が私の頭の中に一気に流れ込んできました。「なんでこんなことが起きるのか」「亡くなった方はどんな気持ちだっただろうか」「亡くなる前に戦争が終わったことを知っていたのだろうか」「後で知らされた家族はどんな気持ちだっただろうか」「そもそもどんな気持ちで鳥取を離れて戦地へ向かったのだろうか」等々。もちろん8月15日以降も一部で局地戦が続いていたということは知っていましたが、目の前に写真という「リアル」があったため正直ショックでした。めったにないことですが、「想像するのをやめたい気持ち」になりました。でも今この時も地球上で「戦闘行為」が展開しています。またそれに準じるような危険な駆け引きも繰り広げられています。

 「想像することをやめてはいけない」と思っています。

 つい先日そんなことがあったこともあり、今日はいつも以上に想いを持って静かに過ごすことにしています。

 写真は護國神社から見おろした鳥取砂丘とその日の朝に実家前で見た虹です。虹の左端がずいぶん手前にあるのがわかりますか。

 230810護国神社 230810虹

 夏休みも後半です。さぁ、2学期に向けての準備を着実に進めていきましょう。

①今日は様々な場面で台風7号の影響が出ていますね。甲子園の高校野球も昨日のうちに順延が決まっていました。また飛行機や新幹線にも早々と欠航や運休が決まっているものがありました。今日の田無タワー方面も雨雲がびっしりです。正門に立っていたところ通りがかりの散歩の方から、東村山でものすごい雨に遭って雨宿りをしていたという話をうかがいました。しかし正門前の道路は濡れてもいませんでした。かなり局地的に雨が降ったようですね。このブログを書いている今、先日まで帰省していた鳥取市の私の実家一帯には土砂災害警戒区域として「避難勧告」が出ています。私にはどうすることもできませんが、ちょっと心配です。

 正門前に立ってはみましたが、お盆・台風と重なったので、顔見知りにすらほとんど会いませんでした。今日のおはようカウンターはなんと59回でした。

 230815田無タワー 230815おはようカウンター