校章

東京都立久留米西高等学校

227粒目:令和4年度最後の日 「つながり」を思う

2023/03/31

 今日は3月31日、年度の最後の日です。つまり先日の離任式でくるにしを去ることを発表した先生方は明日から「違う学校の先生」になります。また定年退職される先生は再任用の先生を除き「都立学校の先生」ではなくなります。定年退職後に再任用となる先生は3月31日付で一旦退職の辞令が出て、その上で4月1日付で再任用の辞令が出ます。

 今日は既に先生方が退勤して、今校内には私以外誰もいません。今日は校長室に異動される方々が最後のお別れのあいさつに来てくださるかも知れないと想像して、必ず最終退勤者になろうと決めていました。あいさつに来ようと思ってくださった方々の思いを踏みにじることなく、しっかり見送りたいと思っていたからです。

 校長として生徒・教職員全てのくるにしメンバーに果たしてしっかり向き合えていたか自問自答しています。真剣に取り組んだという自負だけは確実にあります。なぜなら自分自身のことだからです。しかし相手がどう受け取るかは私にコントロールできることではありません。そのことが容易に想像できるからこそ、せめて今日は最終退勤者になろうと思ったのです。この感覚は卒業式終了後に正門で46期生や47期生を見送った時の感覚と似ているかも知れません。

 そんなことを考えていると、頭の中にふと「つながり」という言葉が思い浮かびました。「つながる」「つなげる」「つなぐ」少しずつ意味の、あるいはニュアンスの違うこれらの言葉をひっくるめて「つながり」という言葉が思い浮かんだのです。それぞれの意味の違いはニュアンスでいいのでちょっと想像してみてください。

 振り返ってみると、私自身がくるにしあるいは東久留米市と全く縁のない人生を送ってきました。しかし2年前にくるにしに着任してからたくさんの人と「つながり」ました。くるにしメンバー、清瀬駅から歩く途中ですれ違う地域の人たち、正門であいさつを交わす人たち、清瀬駅周辺でお店に入ると「よう、校長先生!」と声をかけてくれる人たち…。また東久留米市の富田市長やちふれASエルフェン埼玉の安達氏のように全く職種の違う方とも「つながり」ました。

 家族のように絶対に切れない「つながり」もありますが、残念ながら「つながり」の多くはいずれ切れる「つながり」です。それを「別れ」というのかも知れません。「別れ」というと寂しいニュアンスになりますが、前向きな「別れ」はしっかり送り出せればと思います。

 くるにしを通じて「つながった」多くの方々、46期生、47期生、そして異動される教職員の皆さんにとって、くるにしが遠くでささやかに灯っている灯台であればいいなと思っています。そんな思いから、私の友人の船乗りが船舶同士がすれ違う時に旗や信号で交わす、こんな言葉を新たに旅立つ方々に贈りたいと思います。

「御安航をお祈りします」

 皆さんのくるにしからの船出が幸多からんことを心より祈っています。春にはきれいな桜が迎えてくれるここがくるにしです。

 230331正門

 このブログをアップしたら、今年度の最後の戸締りをして帰ります。

 1年間ありがとうございました。

①相変わらずスッキリ晴れない空の色の田無タワーですが、今日は上手に鳴くウグイスの声に癒されました。今年度最後のおはようカウンターはなんと99回でした。

 230331田無タワー 230331おはようカウンター

②今日も出勤途中の同じ場所に「ポテチ星人」が出没していました。とうとう4日連続でした。

 230331ポテチ星人