校章

東京都立久留米西高等学校

125粒目:沖縄:慰霊の日に思ったこと

2022/06/26

 その昔、定時制高校に勤務していたことがありました。定時制でしたので入学してから卒業するまで4年間。まるまる4年間担任した学年がありました。その学年は仲が良くて、そのうちの何人かは現在もSNSで連絡が取れます。金曜日に久しぶりに連絡を取りました。近況を聞くと一番年上の女性は81歳になり、ひ孫がいるそうです。中学3年生の子供がいたり、今年子供が生まれたりとそれぞれが頑張って生きているようで、安心しました。私が連絡を取ったのですが、一つ聞きたいことがあったからです。2004年にこのメンバーで行った沖縄修学旅行の行程を思い出したかったからです。

 6月23日は沖縄県の「慰霊の日」でした。この日は沖縄県の県立高校を含む公的機関は公休日となっています。どうしてこの日が制定され、6月23日になったのかについて、もし知らないくるにしメンバーがいたら各自で調べてみてください。

 今年も糸満市の平和祈念公園で「沖縄全戦没者追悼式」がありました。「全戦没者」となっている理由が想像できますか。

 今年コロナ禍ではありましたが、くるにしでは多くの保護者の方の同意をいただいた上で、4月に沖縄県への3年生の修学旅行を実施しました。本来は2年生のうちに実施する予定でしたが、延期に延期を重ねて、時勢の中でも苦しい決断をしてこれ以上延期できないギリギリ「最後のタイミング」で行ってきました。その際にも平和祈念公園には行っています。

 今回の追悼式の会場である平和祈念公園に入ってすぐのところに「平和の礎(へいわのいしじ)」があります。沖縄戦で命を落とした国籍や軍人民間人を問わずあらゆる方々の名前が国や地域別に「わかる範囲」で刻印されています。「わかる範囲」とはどういうことか想像できますか。「まだ(生死が)わからない人」がいるということです。今年も「(沖縄戦で亡くなったことが)わかった方」として新たに55人の方の名前が刻まれたそうです。1945年に終戦を迎えた「戦後」が今も終わっていないという事実に愕然とします。

 私は修学旅行で6回沖縄県を訪れていますが、平和の礎の前に立つたびに、身が引き締まる思いがします。お一人お一人の名前の刻印がお一人お一人の生きた証であり、その命が戦争で奪われた証だと想像してしまうからです。また「ひめゆり平和祈念資料館」内の学徒隊の方々の写真が飾られている場所でも同様の思いになります。どちらの場所でも「あなたは精一杯前を向いて生きていますか」と問われているような想像をしてしまうからです。この2つの場所は私にとって特別な場所です。つい後ろを向きそうになる時に、思い出す場所です。

 今回の追悼式の中で小学2年生の「平和の詩」の朗読がありました。

 「こわいをしって へいわがわかった」

 タイトルで素直に驚きました。実に端的に表現できているからです。私の中にスッと言葉が入ってきました。その後様々なメディアで様々に解説されていますが、詩は読み手がどう受け取るかだと思っていますので、ここでは論評はしません。ただ、「びじゅつかん」がどこで、彼女が何を見たのかはすぐにわかりました。

 修学旅行で一度だけ訪れたことがあったからです。そして「こわくてかなしい絵」の前でしばらく立ち尽くしていたことを強く覚えているからです。丸木位里・俊夫妻の代表作ですが、もう一つの代表作「原爆の図」を観るために帰京してすぐの休日に常設展示されている東松山市の美術館まで家族で行ったことも強く覚えています。

 結局、最初に書いたSNSで連絡を取った代ではなかったようです。そうするともうひとつ前の代なので、1999年の沖縄修学旅行のようです。

 このような形で、修学旅行で学んだ「心の中の財産」に触れることがあることは想像していませんでした。

 今年度は1月に2年生が長崎に修学旅行に行く予定です。修学旅行がどの学年のくるにしメンバーにとっても大切な「心の財産」になってほしいと思っています。

①写真は私が最後に引率した前任校の沖縄修学旅行での首里城です。2019年4月19日です。この年の10月31日に焼失してしまいました。その前の2018年4月にも引率していますが、その時は改装工事中でスクリーンが貼られていました。

 220626首里城① 220626首里城②

②今日はこれから「さんだるセミナーIN板橋」で東京都立北豊島工業高等学校に行ってきます。予約制の進学相談会と聞いていますが、もしこのブログを読んている受検生やその保護者の方がいらっしゃいましたら、ぜひ声をかけてくださいね。以前別の説明会で声をかけていただけたのは、とても嬉しかったですから。

では、行ってきます!