校章

東京都立久留米西高等学校

110粒目:くるにし創立のその一年前にあった出来事について

2022/05/15

 先週は火曜日・木曜日・金曜日と3日出張で午後を不在にしたため、109粒目からだいぶ間があいてしまいました。そこも含めて気張りすぎずに、無理なく更新していこうと思っています。

 くるにしは来年50周年です。くるにし1期生の先輩方は既に60歳を過ぎているということになります。皆さんの祖父祖母の年齢かも知れません。50年は別の言い方で「半世紀」とも言います。くるにしにもそれだけの歴史と伝統があります。当然プライドも…。どうか想像してみてください。

 50年って、なんか重い気がします。

 今から50年前の今日、こんなことがありました。

 「沖縄の本土復帰」

 くるにしメンバーの皆さんは、沖縄県が「日本ではなかった」ということを知っていますか?パスポートが必要で通貨がドルだったアメリカの施政統治下に置かれていた「OKINAWA」が「沖縄県」になったということです。返還の記念式典が行われたのが1972年5月15日です。ちょうど50年前ですね。当時東京で暮らす子供だった私には、正直よくわかりませんでした。でも、当時の沖縄の人々の戦中戦後の思いを今は想像できます。なぜなら授業で歴史を学び、修学旅行で実際に学んできているからです。ちなみに私は何度も沖縄県を訪れていますが、プライベートでは1回行っただけで、残りは全て修学旅行の引率です。連れていく生徒には必ず「楽しむ時は思いっきり楽しめ。でも学ぶ時はそこにいた人たちのことをしっかり想像して向き合え。」と話してきました。みんな心にしっかり刻んでくれたと思っています。

 3年生のくるにしメンバーもついこの間沖縄に修学旅行に行きましたよね。コロナ禍で沖縄で修学旅行を実施することが非常に困難になり、多くの学校が修学旅行の行き先を沖縄から別の場所に変更している中、くるにしは沖縄での修学旅行を決行しました。なぜならそれまでしっかり学年で修学旅行の事前学習をしてきたからです。その上で実施した沖縄修学旅行。どうですか?楽しむ時に思いっきり楽しんだ上で、学ぶべき時にしっかり学んできましたか?

 ガマの中の漆黒の闇、平和祈念公園内の「平和の礎(いしじ)」に刻まれた莫大な内外の人々の名前、身を投げた人も多かったという断崖絶壁、当時を経験した方の講話。プライベートの観光ではない、修学旅行ならではの貴重な経験が多かったと思います。私自身も引率で毎回訪れるたびにさまざまなことを想像して心を震わせていました。

 特にひめゆり平和祈念資料館の中にある、亡くなった方々の遺影を拝見する時、「あなたはしっかり生きていますか?」とまっすぐに見つめながら問いかけられているような気がして、毎回とても緊張したものです。

 3年生くるにしメンバーの皆さんは、様々な場面で今回の修学旅行を通じて学んだことを活かして生きていくようにしてください。そして学んだことを後輩にも伝えてあげてください。

 今日は、日本で唯一の市民を巻き込んだ地上戦が行われた場所「沖縄」、そして「OKINAWA」を経て、50年前の今日「沖縄」として「本土復帰」した沖縄の方々の思いを想像する一日でした。

 

①写真は私が最後に沖縄修学旅行を引率した時の首里城です。(1枚目)平成31年4月19日です。

 その1年前にも引率しましたが、その時は改修工事中でスクリーンで隠されていました。(2枚目)平成30年4月17日です。

 2年続けて訪れたので、1枚目の写真の時には「(前回と比べて)随分きれいになったなあ」なんて思っていたものですが、1枚目の写真の半年後の令和元年10月31日に、首里城は焼失してしまいました。

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