校章

東京都立江北高等学校

沿革

昭和13年1月22日
東京府立第十一中学校を東京市赤坂区に設置し、4月より開校の件認可。
仮事務所を東京府立第十高等女学校(青山にあった仮校舎)内に置く。(1.31)
昭和13年2月21日
大森乙五郎先生 初代校長に就任。
昭和13年4月10日
東京府立第十一中学校第1回生、入学式。
昭和13年4月11日
東京市赤坂区青山北町5丁目の旧青山師範学校附属小学校校舎を仮校舎として授業開始。 校舎の写真
昭和13年7月
臨海(上総湊)、高原(蓼科)修養部設置。
昭和14年6月
千葉県君津郡竹岡村(現富津市)に洗心寮を設置。
昭和14年7月15日
現在地(足立区五兵衛町)に、南側木造校舎を落成。
昭和15年4月1日
現在地(足立区五兵衛町940番地)に移転。
教室が足りないため当初は3部授業実施。
綾瀬駅はなく、電車通学は五反野駅、小菅駅を利用。
昭和15年6月30日
西側木造校舎落成。
昭和15年8月31日
屋内体育館落成。
昭和15年11月11日
10キロ競走開始。(毎月、綾瀬川土手~中川)
昭和16年4月1日
「東京府立江北中学校」と改称。 (校章「十一中」は変更せず)
昭和16年7月31日
北側木造校舎落成。
昭和16年11月14日
40キロ強歩実施。 (大宮氷川神社までの40キロを競う。春秋実施)
昭和17年4月1日
学区制実施。江北中は第2学区に属する。
昭和17年4月1日
制服が背広から「国民服」へ変更。
昭和17年5月
5年生、富士裾野板妻で3泊の野外訓練参加。
昭和17年9月22日
校旗開旗式(明治神宮・皇居前で全校生徒参加)
昭和18年4月1日
綾瀬駅開業。
小倉教頭先生の鉄道省などへ287回に及ぶ陳情の成果。
昭和18年6月16日
江北中学校歌認可申請。(8月25日認可) 作詞土岐善麿氏、作曲山田耕筰氏 (ただし作曲は山田耕筰氏の弟子で本校音楽教師市川都志春先生と述べる関係者もいる。)
昭和18年7月
1年生のみが外房勝浦で水泳訓練。
(洗心寮が要塞区域にあり、使用できないため。)
昭和19年3月29日
東側木造校舎落成し、これにより全校舎が完成。
昭和19年4月1日
松村象一郎先生、第2代校長に就任。
教職員の応召、生徒の疎開転校による減少によりクラス合併。
英語授業を続行。勤労動員のあいまをぬって授業を受ける。
昭和20年3月
5年制が1年短縮、3回生と4回生が同時に卒業
昭和20年6月
江北中学校学徒隊結成。
昭和20年8月15日
終戦。
昭和20年9月1日
授業開始。教師、生徒が続々復校する。
12月には生物同好会ができるなど、クラブ活動が始動。
昭和21年2月23日
4に短縮された修業年限が5年に戻る。
昭和21年4月
食糧不足のため中庭は畑になる。
買い出しにいく場合は公欠扱いになる。
昭和21年11月9日
第1回学芸大会開催。
研究発表、弁論大会、創作劇、英語劇、音楽会など。
昭和22年5月19日
GHQ東京軍政部デュッペル大尉らが突然来校し、軍事訓練に使用した模擬銃などの有無を調査。
昭和22年9月17日
カスリーン台風で利根川堤防が決壊。学校周辺が水没。周辺住民600名の避難所になり休校。26日まで。
昭和23年4月1日
学制改革により東京都立第十一新制高等学校として発足。
併設中学校設置。定時制課程も併置。
昭和23年4月21日
西川尚顕先生、第3代校長に就任。
昭和23年5月11日
創立10周年記念式典。
昭和23年5月13日
同窓会記念総会。(大隈講堂)
会長は学校長が兼務。飯村郁郎(1回生)さんを同窓会理事長とする。
昭和24年4月1日
足立、荒川、台東、中央区から成る第5学区に属する。
男女共学により女子1名が入学するが白鴎高校に転校する。
昭和24年11月3日〜
第1回江北祭、実施。学芸会、弁論会、運動会、展覧会を3日間で。
(先立つ9月24日に、10キロマラソンが有志17名で実施)
昭和25年1月26日
東京都立江北高等学校と改称。
同窓会は「江北会」と命名する。
昭和25年2月8日
「サヨナラ3年生大会」を自治会で主催し別れを惜しんだ。
(3年生を演劇、合唱などで送る行事は、送別マラソン大会や送別会(予餞会)などで引き継がれた。)
昭和25年4月1日
女子100名が入学し、実質的な男女共学スタート。
昭和25年7月5日
新校歌「あやせのながれは」制定。
作詞土岐善麿氏、作曲信時潔氏。
昭和25年11月24日
江北高校の新しい徽章(バッジ)制定。
「高」を柏の葉が囲む意匠。作成者は美術の早川巍一郎先生。彫刻家。
昭和27年6月
第1回全日本学生清書コンクールで柴田三郎さん(2年)が金賞。
昭和27年10月1日
土屋潤身先生、第4代校長就任。
昭和27年10月
第7回国民体育大会(福島・宮城・山形)に、中村登一さん(3年)が走り高跳びで第4位。
昭和27年11月14日
自治会、校友会が一本化し、生徒会発足。
初代生徒会長 善當治昌(11回生)さん。
昭和28年3月
初めての女子の卒業生88名。
※この10回生の女子は固く結束し、毎年、会合をもっている。
昭和28年9月14日
信州蓼科に江北山荘を設置。
昭和29年2月13日
第4回全国書道展で、柴田三郎さん(3年)が文部大臣賞(最高位)。
昭和30年4月1日
校地拡張用地を買収。翌年9月、新運動場完成。
西側(五反野側)に運動場が広がる。
昭和30年10月30日
第10回国民体育大会(神奈川)、ボクシング団体戦に伊東靖倖さん(2年)が出場し4戦全勝、東京都3位に貢献。
昭和31年1月14日
江北マラソンが行事として復活。
※男子は中川までの周回10キロ、女子は3キロ。生徒の伝統復活の意欲は高く、4月28日は新入生歓迎マラソン大会を実施。その後、送別マラソン大会、運動会で実施したが、コースの交通環境が悪化し、昭和40年に中止となる。
昭和31年8月5日
第1回小椋杯争奪バレーボール大会開催。
※バレーボール部を結成し卒業後も指導にあたった小椋氏の急逝を惜しんで開催され、現在まで続いている。
昭和31年8月
全日本高校ボクシング大会フェザー級で、伊東靖倖さん(3年)が第2位。 ※伊東さんは1960年ローマオリンピック(早大在学中)にも出場し2勝遂げる。
昭和31年10月24日
独立図書館落成式。
昭和33年4月1日
下駄ばき通学、禁止。
昭和33年5月10日
創立20周年記念式典。大森初代校長講演。
昭和33年7月1日
門衛小屋完成。
昭和40年代半ばまで。 上級生が登校時の服装(帽子)・遅刻チェックや昼間の来客応対などを行った。
昭和33年9月18日
台風21号、22号のため床上浸水した近隣住民が、本校教室へ避難。5日間休校。
昭和34年4月1日
西尾能仁先生、第5代校長就任。
昭和34年10月
国体柔道競技に、板倉孝充さん(3年)東京都代表で出場。
昭和35年8月25日
軟式野球部、全国大会出場。
昭和35年11月6日
同窓会・江北会初代会長に青地康雄氏(1回生)。
従来は校長が同窓会会長を兼任。
昭和36年4月14日
午前2時出火、南側校舎12教室焼失。
当日3時限より授業開始。
西尾校長は「江北は授業をやめない。」と激励。
昭和36年4月22日
午前0時30分出火、西側校舎10教室・部室焼失。2度目
昭和36年8月4日
陸上部江間史朗さん(3年)、三段跳びでインターハイへ。
昭和36年
放送部、全国放送劇コンクールで優秀賞。
昭和37年4月1日
松岡節郎先生、第6代校長に就任。
昭和37年11月19日
南側新校舎完成。3階建て。
焼失校舎の代替えだが基礎不足で昭和49年に再築される。
昭和39年2月
羽鳥弘氏(2回生)、同窓会第2代会長選任。
昭和39年7月10日
小諸山荘落成。
浅間山麓標高800m、100名収容可能の木造2階建て。
昭和40年6月
プール完成。
昭和40年8月
体操部安田雅行さん(3年)、タンブリング(マット運動)でインターハイ優勝。
安田さんは柳家小さんに入門し、柳家小りん(真打ち)として活躍している。
昭和40年10月21日
午前3時出火、北側校舎14室・職員室焼失。(3度目)
1年生6教室は特別教室へ移動し通常どおり授業を行う。
後日、前回の火事を含めた放火犯(別々の近隣少年)が逮捕さる。
昭和41年4月30日
校庭改修工事、7月にはスプリンクラーも完成。
昭和42年3月31日
3階建て北側校舎が落成。
昭和42年4月1日
学校群制度発足。都立足立高校と53群を編成。
昭和43年3月31日
正面木造校舎北半分取り壊して、鉄筋3階校舎が完成。
正面校舎が全面完成したのは昭和44年3月。
昭和43年7月
陸上競技部、1600mリレーでインターハイに出場。
昭和43年11月16日
創立30周年記念式典。
昭和44年4月1日
森武夫先生、第7代校長に就任。
昭和44年7月1日
30周年記念事業の部室棟が落成。
昭和44年11月
学生帽の自由化。(着用は生徒の自由)
昭和45年3月11日
バリケード封鎖。
他校生に加勢されて生徒3名、卒業生1名が校舎階段を封鎖。2時間後に解除。
昭和45年3月31日
新体育館落成。
十一中時代からの木造建物はすべてなくなる。
昭和46年4月20日
地下鉄千代田線が綾瀬駅に乗り入れる。駅が東へ200メートル移動し遠くなる。
昭和48年8月
陸上部風間明さん(3年)、5種競技でインターハイ3位。
現在、日本陸上競技連盟事務局長として活躍中。
昭和48年10月13日
昭和37年落成の南側校舎が危険校舎とされ、独立図書館、和室ともに取り壊し。
昭和49年7月
鉄筋3階建ての部室棟落成。
昭和49年8月
放送部佐久美玲子さん(3年)、NHK杯全国高校放送コンテスト出場。
昭和49年8月
軟式野球部、全国大会3位。10月の茨城国体でも3位。
昭和49年11月20日
再築の南側鉄筋4階建て校舎が落成。
昭和50年4月1日
荒川潤先生、第8代校長就任。
昭和50年8月2日
囲碁将棋部、全国高等学校囲碁選手権大会3位。
昭和50年11月9日
小澤昭司氏(3回生)、第3代同窓会長選出。
昭和51年8月
軟式野球部、全国大会出場。10月の佐賀国体にも出場。
昭和53年4月1日
宇野一先生、第9代校長就任。
昭和53年11月11日
創立40周年記念式典。文学座俳優、北村和夫氏(2回生)講演。
昭和55年8月
水泳部廣瀬新一さん(3年)、インターハイ出場。
昭和56年4月
臨時学級増で10クラス438人が入学、この学年からすべてのクラスが男女共学になる。(男女比2対1)
昭和56年11月11日
多目的教室落成。柏友館と命名。
昭和56年11月21日
富井信明氏(2回生)、同窓会第4代会長選出。
昭和57年4月1日
学校群選抜廃止し、グループ選抜制始まる。
本校は足立区内の7都立高校で構成する52グループに属する。
昭和57年4月1日
奥山稔先生、第10代校長就任。
昭和57年4月1日
「特色ある学校づくりの推進校」指定。
昭和57年8月2日
陸上部井川真弓(2年)さん、100mハードルでインターハイ出場。
昭和57年11月1日
マイコン(パソコン)導入による個別学習研究。
パソコン52台導入し、パソコンを使用した先駆的な教育・実習を始める。
昭和57年11月9日
修学旅行を移動教室と名を変えて東北地方でわらび座公演実習。以降、広島、沖縄などでも事前学習を重ねながら実施したが、平成になると移動教室から修学旅行という名称に戻った。
昭和57年11月9日
修学旅行を移動教室と名を変えて東北地方でわらび座公演実習。以降、広島、沖縄などでも事前学習を重ねながら実施したが、平成になると移動教室から修学旅行という名称に戻った。
昭和58年2月18日
マイコン(パソコン)導入による研究発表会。
昭和58年8月31日
正門改修。
昭和59年4月1日
緑化事業モデル指定。塀沿いの植栽、花壇や円形ペンチ、中庭には屋外ステージやアジサイが植えられた 。北側通用門も設置,〜 60.2.18
昭和59年4月1日
緑化事業モデル指定。塀沿いの植栽、花壇や円形ペンチ、中庭には屋外ステージやアジサイが植えられた 。北側通用門も設置,〜 60.2.18
昭和59年4月17日
外国人英語講師が赴任。
昭和60年4月1日
木村辰夫先生、第11代校長就任。
昭和60年8月2日
全国高校総合文化祭、美術工芸部門で優秀賞。校庭に投光器10基設置。
昭和60年9月30日
校庭に投光器10基設置。
昭和63年1月29日
小諸山荘、敷地拡張。2,982平方メートル増えて8,502平方メートルに。
平成元年3月18日
創立50周年記念式典。
平成元年4月1日
金井忠雄先生、第12代校長就任 。
平成元年4月1日
格技棟落成。
のちに「江道館」と命名。
柔道場、割道場、ト レーニングルーム、ブールが整傭される。ー方、体膏館にはステージが設置される。
平成元年9月30日
駐輪場用地買収。
自転車通学生徒が多いため北側隣接地の一部を貫収して駐輪場を整傭。
平成2年
大竹登氏(3回生)、同窓会第5代会長就任。
平成3年7月11日
全校舎大改修舟工。1993.7.31まで。
2年間にわた って、全館冷暖房設置、床、壁面、天井など全面的な改修を実施。この間、プレハブ校舎に仮住まいし、体育祭は江戸川陸上競技場で、江北祭も規模を縮小してしのいだ。
平成4年4月1日
長田雅郎先生、第13代校長就任 。
平成6年2月
入学者選抜のグループ選抜を廃止し、単独選抜となる。
平成6年4月11日
家庭科の男女共修スタート。
平成7年1月26日
推蔦選抜開始、66名が合格。
平成7年4月1日
山脇俊彦先生、第14代校長就任。
平成9年4月1日
荒井正賢先生、 第15代校長就任。
平成10年8月11日
演劇部、全国高校演劇大会で準優勝。
「オアシス物穎」
平成10年11月7日
創立60周年記念式典。
平成11年4月8日
新1年生から女子の制服を変更。
平成11年8月26日
軟式野球部、全国大会出場。
平成11年9月17日
校舎の耐霞補強第1 期( 2 号館)工事完了。
ブレ一ス(筋交い)、柱強化など
平成12年10月10日
耐霞補強工事完了(第2期・1,3号館)
平成13年4月1日
鈴木勝利先生、第16代校長就任。
平成13年6月9日
木村昭光氏(10回生)、第6代同窓会長就任。
平成14年7月10日
1年生の小諸山荘移動教室が最後となる。
平成15年2月
入学試験における学区制が廃止される。
平成15年4月1日
村岡薫先生、第17代校長就任。
平成15年4月8日
2学期制、45分、7時間授業(週3日)スタート。
平成16年8月2日
吹奏楽部、全国高等学校総合文化祭(徳島)出場。
平成17年7月
演劇部、全国高等学校総合演劇研究会出場、優秀賞。
平成17年12月15日
重点支援校に指定。(平成18年度から3年間)
平成18年3月31日
小諸山荘廃止。
昭和39年から在学した江北生が訪れ、部活合宿などで利用した思い出の山荘も老朽化により閉鎖。その後、売却。
平成18年12月12日
体育館の耐震補強工事完了。
平成19年3月19日
オンデマンド教室設置。(重点支援校事業)
平成19年4月1日
磯部直樹先生、第18代校長就任。
平成19年6月16日
坂元思無邪氏(15回生)、第7代同窓会長就任。
平成20年4月1日
3学期制、50分、6時間授業に復帰。
土曜授業も年間15回。
平成20年4月17日
新入生合宿実施
平成20年11月15日
創立70周年記念式典。同窓会では正門横に「柏」を植樹。
平成22年5月27日
進学指導推進校指定。(平成24年度まで)
平成23年2月4日
青少年読書感想文全国コンクールで綿貫慎一さん(2年)が優秀賞受賞。
平成23年4月1日
牧内利之先生、第19代校長就任。
平成23年7月28日
重点支援校に再指定。(平成25年度まで)
平成24年4月
同窓会「江北会」WEBサイトをアップする。「http://www.kohokukai.jp」
平成25年1月31日
進学指導推進校再指定。(平成29年度まで)
平成26年4月1日
竹原勝博先生、第20代校長就任。
アドバンス校に指定(平成30年度まで)
平成28年4月1日
萩原聡先生、第21代校長就任。
平成28年6月11日
野口一二三氏(16回生)、第8代同窓会長就任。
平成28年12月19日
校舎改築着工 平成30年冬に竣工予定
(グラウンド整備:平成32年秋完了予定)
平成29年4月1日
新1年生から制服を変更。
平成29年8月24日
進学指導推進校再々指定。(平成34年度まで)
平成30年4月1日
大塚雅一先生、第22代校長就任。
平成30年12月1日
新校舎竣工
令和2年8月31日
新グラウンド(テニスコート、多目的コート)竣工。
令和3年4月1日
江本敏男先生、第23代校長就任。