校章

東京都立桜町高等学校

芸術鑑賞教室で東京演劇集団「風」さんのお話を伺いました

2023/07/20

芸術鑑賞教室で東京演劇集団「風」さんのお話を伺いました

芸術鑑賞ヘレンケラー6 ぼかし      芸術鑑賞ヘレンケラー13 ぼかしー                                                             

 

7月19日(水曜日)、芸術鑑賞教室で「ヘレン・ケラー~ひびき合うものたち」を観たあと、演劇部員数名が劇団員の方とお話をする機会をいただきました。

ある演劇部員には、あふれ出る思いがあったようで、心の声を文章にて寄せてくれたので紹介します。

その中でヘレン役の役者さんが「部活動が演劇部だったわけではなかった。自分には夢という夢も無く、人生もペラペラに感じることがあった。演劇に出会い学んだものの、この演劇で生きるという強い希望はなかった」と役者になる前の話をしてくれました。でも、今は役者になっている現実がある。少しだけわかる気がしました。(…もちろん勝手な妄想ですけど。)
自分たちの部員数を考えると、演劇部という私の属する部活動は興味のない人たちから見ると、もしかするとどこにやりがいがあるのかわからない、おもしろみもない、マイナーで人気の無い部活動と見られているのかもしれません。入部する前の自分も含めて、演劇を「観る」側の経験しかないとわからないこともあるので仕方ないとも思います。自分にとっての演劇観を真面目に書かせてもらうならば、舞台という非日常が今以上の自分を試す場所になる、限界を超えることも可能で、時に、いや、たまに生死を感じるほどに。「演じる」側になれば、性別を変えることも可能だし、80歳になることも、宇宙人になることもヘレン・ケラーになることも可能なのです。舞台は自分の感情も体も限界を超えることができるのです。脚本を「創る」側になれば、簡単に時空を超えてしまえますよね。照明や音響を使って観る側と駆け引きもします。舞台という安全で限られた場所で無限の可能性を、観客という不確定要素と共に「創る」難しさは綱渡りのようなドキドキを感じることがあるのです。結果、(観客側もたまに感じてくれる人もいると思うのですが)舞台を提供する側の人間は充足感も半端ないのだと思います。
劇団員の方が、過去に舞台トラブルで照明が使えなくなって外の光を利用して舞台を作ったというお話も教えてくれましたが、私たち演劇部員はその場面を想像しただけで絶望し心臓が痛くなります。
勝手に回顧的自己満足な語りをしてしまいましたが最後に、ヘレンがモノには名前があること、井戸からでてくるものは「水/WATER」という名前であると気が付いた彼女の原体験は、様々な恩恵を受け、恵まれた状況にある私たちには想像もできないことです。ヘレンの驚きや喜び、天啓をうけたような彼女の衝撃や激しさを、役者の声や動き、照明や脚本などが観客を巻き込み混然となって表現され、没入することができました。