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    • 卒業生による講演会 第3回

      ゼロからの旅立ち

      18M 左巻 健男
      法政大学生命科学部環境応用化学科教授
      (H21.12.24)

      ◎学力が低く、弱点だらけだったぼくが今は大学で教えている

       ぼくは、中学校3年生のとき、クラスのK君に「君はこのクラスで成績が最低だ!」といわれ、痩せこけてひょろひょろした弱々しい少年だった。
       中学校の担任から進路面談のときに、「残念ながら君が行ける普通科はない」といわれた。当時、9教科のうち理科の成績は5段階の「3」だったので、ぼくにとっては得意科目だった。そこで、考えたのが工業高校への進学だった。担任から「大変な努力をする気持ちがあるか」といわれて、「はい」と答えて、受験したのが中工の工業化学科だった。幸いに合格したが、入学してから学力的に落ちこぼれた。
       いくつかの科目で赤点をとり、追試を受けてやっとの思いで高校2年生になった。16歳だった。ぼくはいくつかの致命的弱点を持っていた。
      ・体力がなく、運動能力が弱い
      ・学力が低すぎ
      ・人とうまく関われない・人とうまくしゃべれない・友人がとても少ない
      ・手先が不器用
       クラスの中でも目立たない、いるかどうかわからない存在。そして、自分の未来を描いてもそこに小さな灯りさえも灯っていなかった。「いったい自分はどうなるのか…。」 不安と恐れが支配していた。本は少しは読んでいたのでイマジネーション力はあったと思う。暗い未来。
       そんなぼくが、その後、紆余曲折があったが国立の大学と大学院に進学し、中学校理科教員→東京大学教育学部附属中・高等学校理科教員→大学教員となって今まで来た。理科関係の本もたくさん出している。全国で先生方などに講演をする機会も多い。
       運がよかったと思う。運がよくなった原点は、中工のときの決意と少しばかりの努力だったと思う。

      ◎原点としての中工2年生の決意

       そのとき、世の中を知らないぼくはほんの少し足を前に出そうとしていた。「化学の研究者になろう!」と。中工にいて、専門の化学をよくわからなかったが、化学は好きだった。実験はとくに好きだった。
       世の中を知らないぼくは人とあまり関わらずに一人化学の研究室で試験管などを振っているのが化学の研究者だと思ったのだった。「それならぼくでもできるかも知れない。しかし、ある程度の大学に行かなくてはダメだろう。」とは思った。英語も数学も国語も、専門の化学でさえ、大学受験のレベルではなく、中工のクラスでも成績は下のほうだった。まず、数学を何とかしなくては。
      2つの選択肢があった。
       「中学校数学からやり直す」というのが普通だと思うが、それだといつまでも高校数学に行き着かないような気がした。「よし、高3の数学を独学しよう!」
       できるだけやさしい高3の数学の参考書を買ってきた。
         例題が丁寧だった。しかし、ぼくは例題の解き方の1行目から2行目、2行目から3行目に行かないのだ。当たり前に使っている数学のやり方を理解していなかったからだ。
       5分もたたないうちに鉛筆を投げ、参考書を投げた。しかし、数学を何とかしなくては大学に行けない。いつしか、30分、1時間…と集中できるようになっていった。
        結果的にだが、数3を自学自習で予習していくという選択は正しかったようだ。
       4月から開始した数学の自習も8か月近くが経った12月に担任小川幸男先生との2者面談があった。小川先生の気持ちとしては、ぼくが3年に進級できるか、就職希望としてもどうも人間関係が駄目で心配、というものだったろう。
       「左巻君は将来どうするの?」「国立大学に行きたいと思っています。」小川先生は驚いた顔でぼくを見つめて言った。「勉強しているのか?今に学校の成績も上がってくるのか?」
       数学の自習を続けていても、学校の中間・期末テストの成績は悲惨だった。数学だって高2の数学はまだよくわからなかった。中工の学力落ちこぼれの生徒が、そんな答をしたことに驚いたことだろう。
       「はい、今、少しずつ勉強していますから高3になると成績が上がると思います。」
       高2から高3になった。追試はだいぶ減った。成績はよい方向へと向かっているようだった。高3の数学は授業内容がよくわかった。ほぼゼロの状態から自学自習していたことが効果を表していた。
       高2の春の決意、高2の1年間の数学の自学自習が、ぼくの原点だった気がするのだ。
       今、大学の講義や先生方への講演のときに、その講義や講演を聞く側にかつてのぼくがいるとして話をしようと思っている。好奇心があるのに学力的に落ちこぼれてわからないので授業が苦痛で、教科書やノートの余白にマンガばかり描いていたぼくでも楽しくわかるような講義や講演がしたいという気持ちである。

       




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