大泉附属中学校
- 平成18年4月18日
- 練馬地区中高一貫6年制学校基本計画検討委員会設置
- 平成19年3月22日
- 検討結果を東京都教育委員会へ報告
- 平成20年4月1日
- 東京都立練馬地区中高一貫6年制学校 開設準備室設置
開設準備担当校長、菊地芳男先生(前教育庁人事部)着任
- 平成21年10月2日
- 「東京都立大泉高等学校附属中学校」条例設置
- 平成22年4月1日
- 東京都立大泉高等学校付属中学校 開校
初代校長、菊地芳男先生就任
- 平成22年11月1日
- 開校記念式典 挙行
- 平成24年3月25日
- 新校舎完成
- 平成24年10月27日
- 大泉高校創立70周年・新築校舎落成記念式典 挙行
- 平成25年12月9日
- 新グラウンド完成
- 平成26年4月1日
- 第2代校長、柴田誠先生(前都立清瀬高等学校長)着任
- 平成29年4月1日
- 知的探究イノベーター推進校の指定
- 平成30年4月1日
- 第3代校長、俵田浩一先生(前西部学校経営支援センター担当課長)着任
- 令和 1年12月13日
- Blockhouse Bay Intermediateとの姉妹校の締結
- 令和 2年4月1日
- Society5.0に向けた学習方法研究校に指定
- 令和 4年10月3日
- 開校10周年記念「祝う会」。記念誌刊行。
大泉高等学校
- 昭和16年2月3日
- 東京府立第二十中学校として設置される。
初代校長、室岡孝治先生(前東京府豊島師範学校教諭)。
- 昭和16年4月 7日
- 中野区鷺宮5丁目の仮校舎において開校、第1回入学式挙行。
- 昭和17年1月31日
- 東京府立大泉中学校と改称。敷地を練馬区(当時板橋区)東大泉380番地に決定。
- 昭和17年3月 5日
- 上記敷地にて地鎮祭執行。仮校舎狭隘のため、1学年3学級の臨時編成、1学級の生
徒数は82~85名。
- 昭和17年3月31日
- 西校舎(現在なし)完成し、現在地に移転。移転作業は職員と生徒の勤労奉仕による。
- 昭和18年7月 1日
- 東京都制施行につき東京都立大泉中学校と改称。
- 昭和19年11月21日
- 1学年4学級編成。生徒数16学級 899名。この年より中学は4年制となる。
- 昭和20年3月29日
- 中学校第1回卒業式挙行。
- 昭和20年4月12日
- 校庭北側に大型爆弾数個落下。人員死傷なし。
- 昭和20年9月 6日
- 疎開等のため生徒在籍数減少し、生徒総数 485名となる。
- 昭和21年3月31日
- 室岡孝治校長、都立上野中学校長に転任。
- 昭和21年4月 1日
- 第2代校長、両角英運先生(前東京都視学官)着任。
- 昭和22年3月 5日
- 中学校、5年制に復帰。
- 昭和22年3月31日
- バラック校舎竣工。
- 昭和22年4月 1日
- 新学制実施。在学中の2・3年生を併設中学校生徒とする。1年生は募集せず。
- 昭和22年5月 1日
- 3教室を練馬区立大泉第二中学校に貸与(23.11.15まで)。
- 昭和23年4月 1日
- 新制高等学校に移行し、東京都立大泉高等学校となる。
- 昭和23年4月12日
- 新制高等学校開校式挙行。高等学校生徒 423名、併設中学校3年生 250名。
- 昭和23年5月30日
- 定時制課程設置。第1回入学式。
- 昭和24年3月 2日
- 高等学校第1回卒業式。
- 昭和24年4月10日
- 東京都男女共学モデルスクールに設定され、併設中学校卒業生に女子37名を加え、共学2学級、男子学級5学級を編成。
- 昭和25年5月10日
- 東京都実験学校に指定され、主として男女共学、及び、保健体育の研究を開始。
- 昭和26年1月25日
- 両角英運校長、アメリカ教育事情視察のため出発(26. 5.13帰国)。
- 昭和26年3月 6日
- 定時制第1回卒業式。
- 昭和26年10月13日
- 創立10周年記念式典。記念行事として日曜3回にわたり展覧会、運動会、演劇・音楽会を挙行。
- 昭和27年4月 1日
- 1学年7学級編成。生徒定員各学年、男 210名、女 140名。
- 昭和27年5月22日
- 定時制課程清瀬分校設置。
- 昭和27年11月14日
- 本校英語教育刷新につきパーマ賞受賞。
- 昭和29年7月28日
- 増築校舎竣工(木造東校舎、現在なし)。
- 昭和29年11月14日
- 校歌制定、発表会。
- 昭和30年10月 1日
- 両角英運校長、都立九段高等学校長に転任。
- 昭和30年10月 1日
- 第3代校長、清水安麿先生(前都立武蔵丘高等学校長)着任。
- 昭和30年11月11日
- 体育館落成式。
- 昭和33年3月17日
- 清瀬分校独立新校舎落成式。
- 昭和33年3月27日
- 第2次増築校舎竣工(旧、美術室・物置、現在なし)
- 昭和33年8月31日
- バラック校舎取りこわし。
- 昭和34年7月25日
- 群馬県榛名湖畔に榛名寮を建設、竣工。
- 昭和35年3月10日
- 増築校舎竣工(木造北校舎、現在なし)
- 昭和36年3月31日
- 清水安麿校長、都立両国高等学校長に転任。
- 昭和36年4月 1日
- 第4代校長、小川定胆先生(前都立千歳丘高等学校長)着任。
- 昭和36年6月26日
- 円形校舎(図書館・生徒ホール・部室)竣工。
- 昭和36年10月12日
- 創立20周年記念式典。円形校舎落成式。
- 昭和37年5月20日
- 本年度より体育祭を5月に行う。
- 昭和38年3月31日
- 現3号棟東部(延 857㎡)竣工。
- 昭和38年3月31日
- 小川定胆校長、都立九段高等学校長に転任。
- 昭和38年4月 1日
- 第5代校長、清水貞助先生(前都立大森高等学校長)着任。
- 昭和38年4月 8日
- 臨時学級増。第1学年10学級(男 291名、女 217名)編成。
- 昭和38年8月 1日
- 臨海学校(全員参加)第1回を前、後期に分け、千葉県興津にて実施。
- 昭和38年8月 7日
- 榛名寮を使用して林間学校実施(臨海学校不参加者を対象)。
- 昭和39年4月 1日
- 1学年9学級編成。生徒定員各学年、男 270名、女 180名。
- 昭和39年7月27日
- 第2回臨海学校、千葉県富浦にて実施(以後、この地に固定)。
- 昭和39年7月31日
- 榛名寮増築竣工(延52㎡)、50人の宿泊可能となる。
- 昭和41年3月25日
- 学校外塀工事完成。
- 昭和41年3月31日
- 定時制清瀬分校廃校。都立久留米高等学校定時制として発足。
- 昭和41年3月31日
- 清水貞助校長、都立両国高等学校長に転任。
- 昭和41年4月 1日
- 第6代校長、所弘先生(前都立赤坂高等学校長)着任。
- 昭和41年5月11日
- 現2号棟西部(理科教室群、延 810㎡)竣工。
- 昭和41年7月20日
- 正門竣工(門標は初代校長室岡孝治氏の揮毫による)。
- 昭和41年8月14日
- 敷地内の不発爆弾(1t)発掘。
- 昭和41年8月
- 中校舎をグラウンド側に引き屋する(改築校舎の位置の都合で。木造東校舎)。
- 昭和41年11月 8日
- 西武池袋線北側本校所有地(142㎡)を練馬区に移管(児童公園となる)。
- 昭和42年4月 1日
- 学校群制度発足。新1学年、男 272名、女 179名。
- 昭和42年4月14日
- 現2号棟中部(普通教室、渡廊下、延 658㎡)竣工。
- 昭和43年4月 8日
- 現2号棟中部(普通教室、便所など、延 947㎡)竣工。
- 昭和43年4月10日
- 運動場照明灯設置(6基)。
- 昭和43年10月 7日
- 運動場土盛り、及び、スプリンクラー工事始まる。
- 昭和44年3月31日
- 所弘校長退職。
- 昭和44年4月 1日
- 第7代校長、間瀬正次先生(前都立教育研究所調査普及部長)着任。
- 昭和44年4月19日
- 現2号棟東部(家庭科・視聴覚教室、延 681㎡)竣工。
- 昭和45年10月25日
- 大泉高校PTA会報「いずみの声」(創刊号)を発行。
- 昭和46年3月31日
- 現3号棟西部(普通教室、便所)、及び、現1号棟(延べ 1,704㎡)竣工。
防球網、運動場南側に完成。
- 昭和46年10月14日
- 創立30周年記念事業として中庭造園工事竣工。
- 昭和47年1月20日
- 本校創立当時の木造校舎、便所、給水塔などを取りこわす。
- 昭和47年4月 1日
- 新1学年より学級定員45名。
- 昭和48年2月14日
- クラブ部室(鉄筋2階建)竣工。
- 昭和48年3月31日
- テニスコート照明灯設置(10基)。
- 昭和48年3月31日
- 間瀬正次校長退職。
- 昭和48年4月 1日
- 第8代校長、平馬鉄雄先生(前都立富士森高等学校長)着任。
- 昭和49年3月22日
- この年の修学旅行実施。(これ以後、本校では修学旅行は行なわないこととなる)。
- 昭和49年7月29日
- 野球バックネット設置(高さ6m、幅15m)。
- 昭和51年3月31日
- 平馬鉄雄校長退職。
- 昭和51年4月 1日
- 第9代校長、竹内乙吉先生(前都立福生高等学校長)着任。
- 昭和52年10月11日
- 非常放送設備完成。
- 昭和52年10月13日
- 第1回ホームルーム合宿(第2学年)、大島セミナーハウスで実施。
- 昭和54年3月31日
- 竹内乙吉校長退職。
- 昭和54年4月 1日
- 第10代校長、友野正雄先生(前都立大島高等学校長)着任。
- 昭和55年8月 1日
- 住居表示により学校の所在地番号変更、練馬区東大泉5丁目3番地1号となる。
- 昭和56年3月31日
- グラウンド北側に防球網設置(高さ10m、長さ 140m)
- 昭和56年7月
- 榛名寮が解体され、土地は群馬県に返還される。
- 昭和57年3月13日
- 創立40周年記念誌刊行。
- 昭和57年3月31日
- 友野正雄校長退職。
- 昭和57年4月 1日
- 第11代校長、圖子岩雄先生(前都立水元高等学校長)着任。
学校群制度廃止。グループ選抜制実施。
高校入学者数減のため、新1年は8学級(1学級減)男子189名、女子167名計356名。
- 昭和58年4月 1日
- 高校入学者増のため新1学年より学級定員47名。10学級となる。男子251名女子220名 計 471名。
- 昭和58年10月
- 現1号棟東部(普通教室、管理室、延 3,125㎡)、及び現4号棟(普通教室、図書室、美術・工芸室、LL教室、延 2,348㎡)竣工。
- 昭和59年3月10日
- 環境整備工事竣工(正、西門、道路、球技コート、植栽)。
- 昭和59年8月25日
- 円形校舎棟、既存校舎改修工事竣工。
- 昭和59年11月22日
- 体育館(延4,300㎡)及び、プール棟(プール10コース、音楽室、延べ973㎡)改築工事竣工。
- 昭和60年3月10日
- 環境整備工事竣工(グラウンド、かこい、植栽)。
- 昭和60年6月22日
- 増改築落成式記念式典。
- 昭和60年10月10日
- 第9回ホームルーム合宿(第2学年)、広島で実施。
- 昭和62年3月31日
- 圖子岩雄校長退職。
- 昭和62年4月 1日
- 第12代校長、岡野敬生先生(前都立足立新田高等学校長)着任。
- 平成2年3月31日
- 岡野敬生校長退職。
- 平成2年4月 1日
- 第13代校長、田中公一先生(前都立大森高等学校長)着任。
- 平成2年4月 1日
- 新1年は9学級(1学級減)男子 230名、女子 183名計 413名。
- 平成3年3月31日
- パソコン教室竣工。
- 平成3年10月12日
- 創立50周年記念式典。記念誌刊行。
- 平成4年4月 1日
- 高校入学者数減のため、新1年は8学級(1学級減)男子 210名女子 158名計368名。
- 平成5年1月26日
- 第16回ホームルーム合宿(第2学年)、沖縄で実施。
- 平成5年3月31日
- 田中公一校長退職。
- 平成5年4月 1日
- 第14代校長、平田和夫先生(前都立府中高等学校長)着任。
- 平成5年4月 1日
- グループ選抜制度廃止。単独選抜制度実施。
- 平成5年7月
- 臨海学校最終回。
- 平成6年10月11日
- 第1回宿泊行事(第1学年)実施、裏磐梯で実施。
- 平成7年3月31日
- 平田和夫校長退職。
- 平成7年4月 1日
- 第15代校長、吉野尚也先生(前都立大森東高等学校長)着任。
- 平成7年4月 1日
- 推薦選抜制度実施。
- 平成8年4月 1日
- 高校入学者減のため新1学年より学級定員40名。7学級となる。
男子 150名、女子 131名計 281名。
- 平成10年8月 5日
- 平成11年度入学者選抜第一次募集における隣接学区枠30%になる。
- 平成10年10月 7日
- 授業公開(物理)行われる。
- 平成10年10月12日
- PTA役員と教職員との教育懇談会が行われる。
- 平成11年1月 1日
- 東京都立大泉高等学校管理運営規程が施行される。
- 平成11年5月17日
- 本校正門前の道路拡幅住民説明会(練馬区役所土木課主催)が本校会議室で行われる。
- 平成12年3月31日
- 吉野尚也校長退職。
- 平成12年4月 1日
- 第16代校長、髙橋公治先生(前都立北野高等学校長)着任。
- 平成13年7月 9日
- 第2期校舎耐震工事着工。
- 平成13年10月13日
- 創立60周年記念式典・祝賀会実施。
- 平成13年10月19日
- 校舎耐震工事(第2期)竣工(3号棟及び円形校舎)。
- 平成14年2月19日
- テニスコート周辺のフェンス全面改修竣工。
本校正門前の道路拡幅に伴う正門周辺の整備工事竣工。
- 平成14年10月24日
- 都教委は高校改革の新たな実施計画案を決定(本校は平成22年度より中高一貫校教育に改編)。
- 平成15年3月20日
- 教室改修工事竣工(1号棟2階多目的教室・3階自習室)。
- 平成15年3月31日
- 髙橋公治校長退職。
- 平成15年4月1日
- 第17代校長、藤井文雄先生(前都立東村山西高等学校長)着任。
- 平成16年4月1日
- 事務室長校から事務長校へ組織改変。
- 平成16年10月14日
- 外壁その他改修工事竣工(1号棟及び2号棟)。
- 平成17年1月19日
- 校庭改修工事竣工。
- 平成17年8月26日
- テニスコート改修工事竣工(砂入り人工芝3面)。
- 平成18年3月31日
- 藤井文雄校長、都立清瀬高等学校長に転任。
- 平成18年4月 1日
- 第18代校長、小林洋司先生(前都立足立工業高等学校長)着任。
- 平成18年4月 1日
- 事務室から経営企画室へ組織の名称改変。
- 平成18年5月30日
- 中高一貫教育校の具体的検討を開始。
- 平成19年3月 8日
- 練馬地区中高一貫6年制学校(仮称)の基本計画検討委員会報告書を公表。
- 平成20年1月28日
- 中高一貫教育校への改編に伴う校舎の改築計画が決定。
- 平成20年3月21日
- 施設整備に伴う改築検討委員会を設置。
- 平成20年3月28日
- 練馬地区中高一貫6年制学校開設準備室設置に伴う工事竣工。
- 平成20年3月31日
- 小林洋司校長、東京都東部学校経営支援センター副参事に転任。
- 平成20年4月 1日
- 第19代校長、菊地芳男先生(前教育庁人事部主任管理主事)着任。
- 平成20年4月 1日
- 練馬地区中高一貫6年制学校開設準備室を設置。
- 平成21年1月22日
- 本校校舎全面改築に伴う住民説明会(東京都教育委員会都立学校教育部主催)が本校会議室で行われる。
- 平成21年4月1日
- 経営企画室長校から経営企画課長校へ組織変更。
- 平成21年6月29日
- 本校校舎全面改築に伴う第2回住民説明会(東京都教育委員会都立学校教育部主催)が本校会議室で行われる。基本設計について説明。
- 平成21年10月2日
- 東京都条例により東京都立大泉高等学校附属中学校設置される。
- 平成22年2月10日
- 本校校舎全面改築に伴う第3回近隣住民説明会(東京都教育委員会都立学校教育部主催)が本校会議室で行われる。外溝計画について説明。
- 平成22年4月 7日
- 東京都立大泉高等学校附属中学校第1回入学式
高校入学者数減のため、第1学年は5学級(2学級減)となる。
- 平成22年7月16日
- 本校校舎全面改築に伴う第4回近隣住民説明会(東京都教育委員会都立学校教育部主催)が本校会議室で行われる。工事日程・方法等について説明。
- 平成24年3月23日
- 新校舎竣工 鉄筋3階建 校舎棟12,043.00㎡(普通教室、特別教室、管理室)
体育棟1,666.22㎡(アリーナ) プール棟1,982.78㎡(柔道場、剣道場、プール等)
- 平成24年4月17日
- 本校校舎全面改築に伴う第5回近隣住民説明会(東京都教育委員会都立学校教育部主催)が本校会議室で行われる。校舎解体についての説明。
- 平成24年10月27日
- 創立70周年記念式典。記念誌刊行。
- 平成25年12月16日
- グラウンド完成11,933㎡。
- 平成26年3月20日
- テニスコート完成3,903㎡。
- 平成26年3月31日
- 菊地芳男校長退職。
- 平成26年4月 1日
- 第20代校長、柴田誠先生(前清瀬高等学校長)着任。
- 平成27年3月20日
- 外構工事完了。
- 平成28年4月1日
- 英語教育推進校、中部学校経営支援センター特別指定校に指定。
- 平成29年4月1日
- 知的探究イノベーター推進校に指定
- 平成30年3月31日
- 柴田誠校長退職。
- 平成30年4月 1日
- 第21代校長、俵田浩一先生(前西部学校経営支援センター学校経営支援担当課長)着任。
- 平成30年4月 1日
- 国際交流リーディング校 文化部推進校(将棋部門)に指定
- 平成30年4月 1日
- 都立学校スマートスクール構想の実証研究のためのBYOD研究指定校に指定。
- 平成31年4月 1日
- 海外学校間交流推進校
オリンピック・パラリンピック教育文化プログラム・学校連携事業校に指定
- 令和 1年12月13日
- Blockhouse Bay Intermediateとの姉妹校の締結
- 令和 2年4月 1日
- Society5.0に向けた学習方法研究校に指定
- 令和 3年4月 1日
- 国際交流リーディング校に指定
- 令和 4年4月 1日
- Global Education Network 20に指定
- 令和 4年4月 1日
- 情報科目の充実を図るための教員支援モデル校に指定
- 令和 4年4月 1日
- 文化プログラム・学校連携事業実施校に指定
- 令和 4年4月 1日
- 文化部推進校(将棋部門)に指定
- 令和 4年10月 3日
- 創立80周年記念「祝う会」。記念誌刊行。
- 令和 6年4月 1日
- 理数研究校に指定
- 令和 6年4月 1日
- 生成AI研究校に指定