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東京都立国分寺高等学校

ニュース

2025/09/29 SSH

SSHふくしま震災遺構フィールドワーク レポート①

2年生参加者代表(文責 引率顧問齋藤)

 今夏、8月21〜22日に東日本大震災の被災地の一つ、福島県に震災遺構をめぐるフィールドワークに参加しました。約半年近く事前学習や準備を経ての実施となりました。2回にわたり掲載します。

 

画像1東日本大震災・原子力災害伝承館にて

 

8/21  集合場所の国立駅からマイクロバスで4時間ほどかけて福島へ
往路、物理の佐藤先生による原子力や原子核、放射能などについて基礎基本を学びました。科学的に知識と

して学ぶことで今回の旅においてとても重要な講義の時間になりました。

 

大熊未来塾

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ご家族を津波で亡くされた方が主宰する大熊未来塾のプログラムに参加しました。

まずは講師の木村紀夫さんと共にバスで大熊町を見学し、14年経った今でも震災による影響が色濃く残っていると分かりました。
 特に、居住困難地域を示すゲートの中にあった双葉病院は、あの原発事故で、医師らは先に避難し、患者が取り残され、結局全員が避難するのに2週間を要した現場です。

先に避難せざるを得なかった医師たちはどれほど苦しかったか、その時の「正解」は今でもわからないからこその辛さがあるのではないかと感じました。

また復興住宅や新しい施設が建てられている一方で、居住困難地域は当時のままの姿が残っており、そのコントラストに複雑な気持ちがしました。

私は被災後14年かけて綺麗な住居や施設ができ、便利な暮らしができるようになることが復興のしるしのように感じていましたが、それが原発の誘致につながると聞き、矛盾を感じました。

 

画像3車窓から見える双葉病院

 

復興とは、震災前の景色に戻すことではないと考えます。さらに、以前とは全く違う施設を作っていくことが本当に復興といえるのか私は疑問を持ちました。復興には物理的なものだけでなく、そこで暮らす町の人たちの気持ちに配慮することも含まれていると思ったのです。だからこそ、私たちは、「正解」が出なくてもよく考えることが大切だと思いました。講師の木村さんからは福島のことや原発災害についてだけでなく、常に考え続けてほしい、と繰り返し伝えられたことも印象に残りました。

東京で今も贅沢に電気を使っていたことによって、大熊町を含め一部の地域社会が犠牲になっていたことに気づき、いままで何も知らずに生活していたことに恥ずかしさを覚えるとともに、自分たちにも重い責任があると思いました。

 

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今後防災を考える上で常識に囚われるのではなく、東日本大震災を含め過去の震災で被災した人の話を参考にしたり、何があったのか詳しく知ることも大切だと感じました。被災したことがないとつい他人事のように感じてしまいますが、いつ自分の身に起こるか分からないので、自分事として関心をもっていきたいです。

 

ふたば未来学園

広野町にある福祉の県立ふたば未来学園中学校高等学校にて福島県庁とふたば未来学園、早稲田大学の学生とのセッションに参加させていただきました。翌日が始業式ということもあり、短い時間でしたが、中身の濃い交流ができました。

 

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まず、ふたば未来学園の学校生活の説明を受け、探究活動に重きを置いていると知り、インプット中心の学習になりがちな高校が多い中で、アウトプットの学習の機会があるというのはとても魅力を感じました。また、学生の4割が寮生活していると聞き、同年代で親元を離れて生活しているのはすごいと思いました。

だからこそ主体的に活動している生徒が多いのだと思いました。探究活動では調べるだけでなく、現地に行って、自分事に落とし込み、それを周りの人に伝えています。部活動の中に社会起業部があり、校内でカフェを運営している生徒がいました。またトップアスリート部活動があり、プロやオリンピックを目指してスポーツに励む生徒の姿など、刺激を受けました。

グループセッションではバックグラウンドの違う人と交流できる機会はなかなかないので、今回はとても貴重な経験になりました。震災の話だけでなく学校生活のことも話すことができました。早稲田大学とは今後の活動においても交流を続けていきます。

 

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                                ふたば×早稲田大×国分寺高校

8/22 楢葉町にある宝鏡寺内の伝言館へ 

 お寺の住職さんが、戦後の浜通りで原発の誘致・建設、変わる地域を見つめるなか、地域で「自他がともに幸せになる道」の一つとしてつくられた私設資料館。公的な伝承館との比較分析のために訪れました。

ここは東日本大震災での被害だけでなく、広島、長崎、ビキニなど、原子力被害全般が展示されています。そのことを具体的に知ることができ、恐ろしく想像がつかないというのが率直な感想でした。日本は、80年前第二次世界大戦で原爆を経験していて原子力の危険さをよく知っているのにもかかわらず、原子力発電所を設置したのはなぜか、過去の教訓を生かせなかったのはなぜか。核のない世界にするまで死ねないという人の思いや平和を願い自分の経験を伝えている人の情熱を感じ、私はそれをしっかりと受け止めたいと思いました。

放射能汚染による健康被害も恐ろしいけれど、時間が経つにつれ、病気になるかもしれないという不安を抱えたまま生きていかなければならないことのほうが辛いことを知りました。
 核兵器の恐ろしさは健康上の問題だけでないことをしっかりと憶えておきたいです。

 

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