このページはアーカイブです。リンク先は存在しない場合があります。現在のサイトへ移動

サイトマップ

若葉折々(校長通信)

★本校ホームページをご覧いただき、ありがとうございます。
今年度も、適宜、校長通信を発信してゆきますので、ご覧いただければ幸いです。

○9月2日(月)
令和元年度、2学期の始業式において次のようなお話をしました。
 
皆さん、おはようございます。今年の夏も暑かったですが、本日、皆さんの元気な顔を見ることができ、大変嬉しく思います。1学期の終業式は交通機関のストップで行うことができませんでした。したがって、皆さんに夏休みに向けての心構えをお話しすることもできませんでしたが、夏休みは皆さんにとって有意義なものになったでしょうか。さて、2学期の始業式にあたり、今日は「チャレンジすることの大切さ」についてお話ししたいと思います。

今年のプロ野球界ではメジャーリーグで活躍する日本人選手の話題が今一つ盛り上がっていないように感じます。昨年、二刀流で大活躍した大谷翔平選手が、今年はピッチャーとしては登板できないということもあるのでしょうか。しかし、日本人メジャーリーガーは大谷選手の他にも、田中将大投手、前田健太投手、ダルビッシュ有投手など実績のある素晴らしい選手が沢山います。このように多くの日本人選手がアメリカのメジャーリーグで活躍するようになって久しいですが、日本のスター選手で初めて海を渡り、メジャーデビューしたピッチャーを皆さんは知っていますか。自分の背番号を相手打者に見せるような、その変則的な投げ方はトルネード投法などと呼ばれていました。誰でしょう?そうです、野茂英雄投手です。聞いたことがないという人は是非、あとで「ググっ」てみてください。

野茂選手は1990年、近鉄バッファローズに入団しました。今のオリックスです。150キロを超える速球とフォークボールを武器に、新人から4年連続で最多勝、最多奪三振のタイトルを取りました。しかし、球団や監督との野球に対する考え方の違いもあり、その次の年には故障して8勝しかできませんでした。今では、ピッチャーの肩は消耗品で球数の制限をすることは普通ですが、当時の日本の野球界ではまだ根性論が支配的で、ピッチャーはとにかく投げ込みをせよという時代でした。そのような非科学的なトレーニングに異を唱え、自らの考えを変えない野茂選手と球団との関係は壊れる寸前となっていました。次のシーズンの契約を結ぶのが難航する中、野茂選手は突然、近鉄を任意引退して、アメリカに渡りドジャースと契約してしまいました。1995年のことです。当時、日本のプロ野球選手がメジャーリーグに移籍することはできないという規定があったのですが、彼は球団が示した、言うことを聞かなければ引退という提示をそのまま受け入れたのです。そして、プロ野球選手でなくなった一個人として、メジャーリーグに挑戦したのです。当時の日本では、彼の行動は、プロ野球関係者やマスコミはもちろん、ファンからも、恩知らず、裏切者、売国奴と非難されました。そのような中でも彼は
「チャレンジしないまま残りの人生を後悔して過ごしたくない。メジャーリーグでぼくの力がどこまで通用するのか試してみたい」と語り、自らの信念を貫きました。
日本人がメジャーリーグで通用する訳がないとアメリカはもちろん日本でも多くの人が思っていた中、野茂選手はその年の5月にメジャー初登板を果たし、6月に初勝利をあげ、その後6連勝を飾りました。そして、オールスターにも選ばれ、名誉ある先発投手を任されました。この試合を実況中継したNHKのアナウンサーは、
「皆さん信じられますか。日本人投手が今、アメリカのオールスター戦に先発しているんですよ」と言い、「信じられますか」を連発しました。彼の目覚ましい活躍が日本のマスコミやファンの心を捉え、変えていったのです。
彼はその後、メジャー16年間で123勝をあげ、日米通算201勝をあげました。彼のチャレンジが素晴らしいと思うのは、その勇気と信念はもちろんのこと、その後に続いた日本人メジャーリーガーにその門戸を開いたことです。野茂がいなければ、イチローも松井も大谷も存在しなかったと思います。
さらに言うと、当時、日米関係は日本車の大量輸出による貿易摩擦の問題でギクシャクしていましたが、野茂の活躍はアメリカにおける日本のマイナスイメージを大きく塗り替えました。また、日本人のアメリカ・コンプレックスを緩和させたとさえ言われています。そういった偉大なチャレンジだったのです。

野茂選手が成功したのは「夢を追いかける心」を持ち、果敢に「相手の懐に飛び込んでいった」からだと思います。そして、何より「自分を信じていた」からだと思います。野茂選手は口下手で非常に謙虚な人です。それゆえ、マスコミに誤解されて悪意のある報道をされることも度々あり、マスコミのインタビューを受けることはほとんどありませんでした。その彼が昨年NHKの番組でメジャー挑戦の裏側について、20数年ぶりに自ら語りました。その語り口から、野球に対するピュアの気持ちと、常に自分を信じ、自分はやり遂げられるという強い信念を持ってチャレンジしたことが伝わってきました。
皆さんは、野茂選手とはまた違った素晴らしい能力や大きな可能性を秘めています。是非、目標を高く掲げ、自分を信じてチャレンジしてほしいと思います。3年生は自らの進路を掴むため、1・2年生は将来の自らの進路に結びつけるために。


○4月8日(月)
平成31年度、1学期の始業式において次のようなお話をしました。
 
おはようございます。春休みはあっという間に終わってしまったような感じがしますが、皆さんにとって充実したものになったでしょうか。本日は平成31年度そして令和1年度のスタートとなる1学期の始業式です。学校にとってはまさに年の初めであり、この1年間の自らの目標をしっかりと確認して決意を新たにしてほしいと思います。今日は年度初めにあたり、選択することと教養を身に付けること、そして少しだけ選挙についてのお話をしたいと思います。
 
アメリカ第32代大統領フランクリン・ルーズベルトの夫人でエレノア・ルーズベルトという人がいます。夫の死後、アメリカの国連代表をつとめ、世界人権宣言の起草者であり、人権擁護の象徴として女性の地位向上に大いに貢献した人物です。その彼女の有名な言葉があります。
「人の生き方を一番よく表すのは、言葉ではありません。それは、その人の選択なのです。私たちの選択とは、つまるところ、私たちの責任なのです。」
人はどのような選択をするかはその人の自由だけれど、その結果に対して責任を求められるということ。今ある自分は過去に自分が選択した結果つくられたものであるということ。それゆえ、自分の人生に責任をとるのは自分以外にはいないということだと思います。この「選択」とは日常の小さな選択から人生の大きな選択まで、すべての選択を指しています。
そして、彼女の言葉からもう一歩進んで考えてみると、未来の自分は「今の自分の選択」によってつくられると言えるのではないでしょうか。
皆さんはこの4月から、新たに自ら選択した科目を学習します。自分が選択した授業はしっかりと勉強をする責任が皆さんにはあります。そして、自ら選択した授業に意欲を持って主体的に取組むことが、皆さんの未来をつくっていくことにもつながるのだと思います。
2・3年生とも、昨年度じっくりと自分を見つめ、自らの興味・関心、適性、進路を考えて科目選択を行ってきたと思います。すべての生徒が、授業開始時に、もう一度、その授業を選択した理由、目的、決意を思い返してほしいと思います。そして、その想いを一年間持ち続け、自らの責任を果たすことにより、未来の自分を創っていってほしいと思います。
 
次に「教養を身につけること」についてお話しします。教養というと、一般的には多くの知識を身につけることをさすように思います。しかし、もっと大きな視点で見てみると、それだけではないと思います。
一橋大学の学長を務めた歴史学者の阿部謙也さんという人がいます。彼が、ある時、高校生を対象に「大学で何を学ぶか」というテーマで講演を行いました。大学へ行く目的の一つに教養を高めることがあると思いますが、阿部さんは大学と教養は関係がないと話したそうです。教養とは知識ではなく、社会との関係性を自覚することだと説きました。
だから、学歴や職業は関係なく、「自分と社会との関係を自覚して調整できる人、自分が社会に対して何をなしうるかを意識している人」になることが大切である。そのために、一番最初にやるべきことは「自分についての勉強」であると言っています。阿部さんの言葉に従えば、自分はどういう人間で、社会に対して何ができるのか、をじっくりと考え、自らの言葉でしっかりと話すことが出来れば、教養のある人間とみなされるのです。
皆さんは、これまで、1年次の「産社」の授業や選択科目を選ぶ際に、自分と向き合う場面を数多く経験してきたことと思います。しかし、まだ、自分と社会との関係について、十分に考えている人は少ないと思います。自己の目標とする進路を実現することはすばらしいことですが、自らの目指す進路がどのように社会に貢献していくのか、今一度、深く考えてみてほしいと思います。特に3年生は、今後の進路に関わる面接等の際に、このことを思い返して、しっかりと自分の言葉で説明できるように準備をしてほしいと思います。
 
最後に、選挙について、簡単にお話します。
昨日から、大阪をはじめ各地で知事選など地方選挙がスタートしました。東京でも、今月の21日には区市町村の選挙が行われ、7月には参議院議員選挙が予定されています。
皆さんも知っていると思いますが、4年前に公職選挙法が改正され、選挙権年齢が18歳に引き下げられました。ここにいる3年生のうち選挙までに18歳になる人たちが選挙権を得ることになります。
日本国憲法では国民主権をうたっています。国民主権とは、一国の政治の在り方を最終的に決定するのは国民であるということです。主権者である国民として民主政治を維持するためには、皆さんの政治参加が必要になります。自ら考え、判断し、行動すること、特に選挙においては、情報を集め、よく考え、投票に行くことがまさに、政治参加の一つとなります。
選挙運動や政治的活動について分からないことも多いと思いますが、政治経済の授業等を通して今後、積極的に学んでください。投票することに不安を感じる人もいると思いますが、国民としての権利を行使するとても良い機会です。皆さんが積極的に社会に参画すること、特に選挙においては投票という政治参加によって、よりよい社会を築いていく担い手となることを強く期待しています。


○3月25日(月)
修了式において次のようなお話をしました。
 
おはようございます。本日は平成30年度の修了式です。この一年を振り返り、来年度に向けて、自らの進路実現を図るため、何をしなければならないのかを改めて考える契機にしてほしいと思います。
私自身、4月に本校に着任してからの一年間を振り返ってみると、まず若葉総合高校の生徒諸君が様々な場面で生き生きと活躍する姿が目に浮かんできます。体育祭や若葉祭などの学校行事、部活動、教科の授業や産社・マイプロに真剣に取組む皆さんの姿を見る度に、この学校の校長として、とても幸せな気持ちになりました。
しかし、少し残念に思うこともいくつかありました。今日は、そのことについてお話しします。
 
まず、学習に対する意欲が乏しい人が見られること。多くの人が自分の力をこの程度と見切ってしまい、自らの可能性を閉ざしてしまっています。皆さんの力はこんなものではありません。自らの学習に対する姿勢と努力次第で、これからいくらでも学力は伸びます。4月から、また新しい授業がスタートします。これまで十分に学習に取組めなかった人は、気持ちを新たに、チャレンジしてください。やろうとする意志、意欲をもってください。やり方が分からなければ、先生に相談してください。もちろん、私のところに来てもらっても構いません。
今は、親や先生が「あれをやりなさい、これをしないとダメ」と言ってくれますが、それも高校生のうちだけです。社会に出たら、もう誰かが何とかしてくれるということは無くなります。自分が何とかしなければ、自分の道は拓かれません。来年度は心機一転、自らの進路を切り開くためにも、自ら進んで学ぶ姿勢を貫いてください。
 
次に、身だしなみです。大人になれば、様々な公式の行事、フォーマルな場に出席する機会が増えます。その時に、どのような服装、身だしなみで参加すべきか、いわゆるドレスコードというものを意識しなければなりません。これをはずしてしまうと、大変、恥をかくことになります。皆さんにとって、学校という場はフォーマルな場です。だから、制服を着用してもらっています。4月には15期生が入学してきます。先輩として恥ずかしくない姿で迎えてください。身だしなみを整える意義は、外部の人からの評価や皆が安心・安全に学校生活をおくるため、など他にもいくつかあると思います。皆さんも是非、改めて考えてみてください。来年度は、これを意識できない人、ルール・マナーをわきまえない人には厳しく指導していきます。しっかりと自覚をして、注意を受けることのないようにしてください。
 
そして、挨拶です。私は、挨拶はとても大切なものと考えていて、普段から自ら進んで挨拶をする、先手挨拶を意識しています。この一年、短時間ですが朝、校門で皆さんと挨拶を交わしてきました。年度当初は比較的、挨拶の声が返ってきましたが、残念ながら、後半は元気に挨拶を返してくれる人はあまり、多くありませんでした。「挨拶」については、コミュニケーションの最初のステップであり、これまでも様々な機会にその大切さを指導されてきたと思いますが、改めて、その意義に触れながら、少し詳しくお話ししたいと思います。
「挨拶」という言葉の由来は、仏教の用語で「一挨一拶」という言葉からきたものです。これは、禅における問答をさす言葉で、悟りの深さを試すために行われるものです。それが一般にも通用するに至ったと言われています。「挨拶」の「挨」という字には、「押し開く」「互いに心を開いて近づく」という意味があります。「挨拶」の「拶」という字には、「迫る」「すり寄る」という意味があります。つまり、「挨拶」とは「出会った人が互いに心を開いて相手に迫っていく」ことです。挨拶をするということは、「私はあなたの敵ではありません。あなたに心を開きますよ。」というメッセージを伝える意味合いがあるのです。
一昨年に亡くなった、元ノートルダム清心学園の理事長、渡辺和子さんの著書に『置かれた場所で咲きなさい』という有名な本があります。その中に挨拶に触れた、次のような言葉が出てきます。
「あいさつは、「あなたは、(ご)大切な人なのですよ」と伝える最良の手段であり、お互いが、お互いのおかげで生きていることを自覚し合う、かけがえのない機会なのです」
つまり、「挨拶」は、私はあなたとつながっていて、あなたのおかげで生きていますよという気持ちを伝える最も有効な手段だと言うことです。
まとめてみると、挨拶は心を開き、相手を同じ世界に生きる仲間として認め、信頼関係を築いていく大切なものである。そして、周りの人とつながりながら、より良く生きていく、有効なツールである、ということが言えると思います。
挨拶をして損をすることはありません。いえ、むしろ、挨拶がその人の人生を救うこともあります。一例をあげます。ある若手芸人が浅草の劇場で活動していた時に、演出家が「芸人としての才能がないから辞めさせよう」と言い出したそうです。しかし、「彼の挨拶は気持ちがいい。辞めさせないで」という声が周りからあがり、彼の首はつながりました。後のコメディアン、欽ちゃんこと、萩本欽一さんの修業時代の実話です。
 
それでは、新年度4月から、身だしなみをしっかりと整え、気持ちのいい挨拶を交わせることを期待しています。また、一人一人が自らの可能性を信じ、自ら進んで学ぶ姿勢を貫いてほしいと思います。


○1月8日(火)
 3学期の始業式において次のようなお話をしました。
 
 おはようございます。短い冬休みでしたが、皆さんにとって充実したものになったでしょうか。平成31年を迎え、皆さんは、今年一年の目標を立てましたか。まだの人は是非、本日の始業式を機に今年の目標を考え、自分自身にそれを課してほしいと思います。

 さて、いよいよ、東京オリンピック・パラリンピックが来年に迫ってきました。本日はそれに関わる、「グローバル社会」と「コミュニケーション力」について、お話ししたいと思います。
 
 現代はインターネット等の発達により時間的にも空間的にも世界の距離が縮まり、言葉や文化の違う外国の人々と一緒に仕事をしていくグローバル社会と言われています。今後益々この傾向は強くなると言われていますが、このグローバル社会において世界の共通言語としての「英語」がさらに重要になると言われています。
 皆さんも知っていると思いますが、今の1年生が3年生になる時に大学入試は大きく変わります。来年度から先行して実施してくる大学もあるので、2年生にも関わってきます。特に英語は、スピーキングを含めた4技能の能力を問う試験になります。12月に、1・2年生全員に「GTEC」の試験を受けてもらったのもその対策の一つです。では何故、そのような改革が必要なのでしょうか。文部科学省がグローバル社会における英語力の重要性をうたっている報告書があります。皆さんにも関わることですので、その一部を紹介します。

 「わが国では、人々が英語をはじめとする外国語を日常的に使用する機会は限られている。しかしながら、東京オリンピック・パラリンピックを迎える2020年はもとより、現在、学校で学ぶ児童生徒が卒業後に社会で活躍するであろう2050年頃には、我が国は、多文化・多言語・他民族の人たちが、協調と競争する国際的な環境の中にあることが予想され、そうした中で、国民一人一人が、様々な場面において、外国語を用いたコミュニケーションを行う機会が格段に増えることが想定される。」

 つまり、2050年には、皆さんは日常的に英語を使わざるを得なくなると予想しているのです。遠い先のことのように思われますが、すでにその兆しは各所に見られます。
 現在、多くの国内企業が事業を広げるために海外進出を行っています。その結果、海外の取引先とのメールや電話はすべて英語を使い、打ち合わせも英会話で交渉することが当たり前になっています。楽天やソフトバンク、ユニクロなどの大手企業が社内公用語を英語にするなど、会社内で英語を使おうとする動きが活発になってきています。これは、一部の海外へ進出する企業のみのお話しではなく、国内で事業を展開する企業でも英語の能力が就職や昇進を左右するようになってきています。
 一方で、AIの発達により、翻訳機の性能が飛躍的に伸び、英語は覚える必要がなくなるという人もいます。最近、TVでは盛んに自動翻訳機のコマーシャルが流れていますが、本当にそうでしょうか?AIは、あくまでも人間が与えた情報の中から最適なものを選び出すだけであり、人間のようにその時の心情や状況などを踏まえ、表現を工夫するというのは非常に難しいと言われています。AIの自動翻訳機は、日常の会話ではある程度、事足りるのかもしれません。しかし、専門的な用語や相手との駆け引きが要求されるビジネスの場面で役に立つのか、甚だ疑問です。今後、ビックデータといわれる大量の情報が追加され、精度がいくら高まるとしても限界があると思います。したがって、真に重要な話し合いの場面では人間同士による直接的なコミュニケーシヨンが必要になってくるはずです。やはり、英語の力は必要だと思います。
 
 では、グローバル社会において、英語ができればそれで良いのでしょうか?
 日本人は、国際社会の中ではっきりと意思表示をしない、と批判されることが度々あります。欧米社会では、沈黙は「何も考えていない愚か者の証拠」と見なされます。一方、日本では、あまり多くを語らないのが美徳という考え方があります。以心伝心という言葉もあります。日本人や日本の社会の良さを受け継いでいくことも大切ですが、グローバル社会においては、やはりはっきりとした意思表示をすることが求められるのではないでしょうか。
実は、日本人の中にも自分の意見をはっきりと主張し、欧米人をたじたじにさせた人物がいます。白洲次郎という人です。
 彼は第二次世界大戦後、日本がアメリカの占領・統治下にあった頃、当時の吉田茂首相の側近として貿易庁(現在の経済産業省)の長官を務め、米軍の占領機関であるGHQと対等に渡り合った人物です。彼は「我々は戦争に負けたが、奴隷になったのではない」と語り、GHQの不当な指示や要求にははっきりと「NO」と言いました。占領下でありながら、 言うべきことを堂々と主張する彼に、GHQ側はほとほと手を焼いたようで「従順ならざる唯一の日本人」と言われました。彼の人となりを表す有名なエピソードがあります。
 白洲次郎はイギリスのケンブリッジ大学に留学し、英語がペラペラでした。あまりに上手なので、GHQのホイットニーという人が「英語がうまいですね」と言うと、彼は何と答えたでしょう。「あなたももっと努力すれば私のようになれますよ」とアメリカ人に言い返したのです。圧倒的に立場の強い相手に対しても決してぺこぺこせず、正しいと思ったことは主張し、言うべきことは断固として言う、それが彼の姿勢でした。
 グローバル社会といわれる現代において、白洲次郎のようにはっきりと自分の意見を主張して相手に自分の立場や考えを理解してもらうことは、様々な場面で必要になってくると思います。皆さんは、産社やマイプロなどの授業をとおして、自らの考え、意見をしっかりと相手に伝える力を養っています。下地はできています。自信を持ち、これからそのような機会にどんどんチャレンジしていってください。
 
 皆さんには、これからの社会で活躍するために、世界の共通言語である英語力を磨き、自らの考えを相手にきちんと伝える態度とコミュニケーション力を養ってほしいと思います。3学期もしっかりと学習に取組みましょう。


○12月25日(火)
 2学期の終業式において次のようなお話をしました。
 
 おはようございます。今日は12月25日、早いものであと一週間で今年も終わりになります。今日は、2学期の終業式にあたり、今年を振り返りつつ、「本を読むこと」と「生きること」について、お話ししたいと思います。
 
 皆さんは今年話題になった「シリアの秘密の図書館」という本を知っていますか。デルフィーヌ・ミヌーイというフランス生まれのジャーナリストが、内戦下のシリアの様子を描いたノンフィクションです。シリアはトルコやイラクと隣接する中東の国です。2011年の「アラブの春」と呼ばれる中東の民主化を求める改革運動がシリアへも到達し、アサド大統領の独裁に反対する民衆が各地で立ち上がりました。この運動を大統領が力で押さえつけたことにより、政府軍と反乱軍による泥沼の内戦に発展し、未だ収拾のめどがたちません。化学兵器が使われたことはニュース等でも聞いたことがあると思います。ロシアやアメリカ、イスラム国の介入など、この内戦を理解するのは非常に難しいので、ここでは詳しくは説明しません。興味がある人は自分で調べてみてください。
 この本の舞台として描かれているのは、政府軍に包囲されたダラヤという町です。ダラヤは政府軍に4年間包囲、封鎖された町で、最後は医療品や食料等が枯渇する状況でしたが、民衆は徹底的に抵抗しました。政府軍の爆撃が続き、死と隣り合わせの毎日の中、瓦礫の下から打ち捨てられた本を掘り出し、収集・整理し、地下に秘密の公共図書館を作った若者たちがいました。そして、多くの人々がこの図書館を利用しました。何故、そのような状況下で人々は本を読んだのでしょう?
 この本に出てくる本好きの兵士オマールは次のように言っています。
 
 「戦争は悪です。人間を変えてしまう。感情を殺し、苦悩と恐怖を与える。戦争をしていると、世界を違ったふうに見るようになります。読書はそれを紛らわせてくれる。僕たちを生命につなぎ止めてくれるのです。本を読むのは、何よりもまず人間であり続けるためです。」
 
 本を読んでいる間は戦争を忘れることができたのだと思います。そして、本は人間としての理性を呼び起こしてくれるものであり、人々は本を読むことに生きる希望を見出していたのだと思います。戦時下という特殊な状況ではありますが、我々にとって本とはそのような大きな意味を持つものだと改めて考えさせられました。皆さんも、是非、彼らの心情をおもんばかり、本を読むことの意義を考えてみてください。
 
 さて、もう一冊、今年一番の大ベストセラー「君たちはどう生きるか」という本についてお話ししたいと思います。皆さんはもう読みましたか?(マンガ版OR小説)これは、約80年前に吉野源三郎という人が書いたもので、昨年、マンガ化されて再ブレークしました。マンガ版、小説版合わせて、200万部を突破し現在も売れ続けています。池上彰さんがTVで若者に勧め、ジブリの宮崎駿監督が引退を撤回してアニメ化すると発表するなど、大変な話題になりました。
 この作品が注目を集めたのは、まさに「人間らしさ」をテーマとし、「人とはどのようなものか」「人が生きていく上で大切なことは何か」という問いに正面から向き合い、読者にその答えを考えさせようとしているからだと思います。
 この本の主人公は15歳の少年で、コペル君と呼ばれています。学校や日常生活での様々な出来事を通してコペル君は何かを発見したり、友達との関係に悩んだりしながら、彼の若い叔父さんとの対話を通じて成長していきます。
 その中で、コペル君があることで友達を裏切ってしまうという場面が出てきます。彼は、そのことで非常に悩み、苦しみ、寝込んでしまいます。そして、さんざん苦しんだあげく、叔父さんに相談をします。その時、叔父さんはコペル君に次のような言葉をかけます。
 
 「悲しいこと」や「つらいこと」(や)「苦しいこと」に出会うおかげで、僕たちは本来、人間がどういうものであるか、ということを知るんだ。
 
 人は、お腹が痛くなって初めて、普段忘れている胃腸など内臓の大事な役割に気づきます。手や足をけがをし不自由になって、改めてその大切さに気づきます。気づくのは「苦痛」のおかげです。それと同様に、人間は様々な失敗をして苦しみ、そこから人として大切なことに気づくのであり、苦痛を感じることが成長するチャンスであると言っているのです。
 皆さんも、日々生活していく中で、様々な「悩み」を抱え、つらいこと、苦しいことに出会っていると思います。でも、その時こそ、人としての成長のチャンスであり、人として大切なことに気づくことができるのです。今は苦しくとも、必ず出口は見えてきます。苦しさやつらさは自らの成長する糧と前向きにとらえ、進んでいくことが大切なのだと思います。
 この「君たちはどう生きるか」の中には、その他にも、ものの見方や学問をする意味など、様々な示唆に富み、考えさせられる命題が数多く語られています。まだ読んでいない人はマンガ版でも良いので、是非、読んでみてください。
 
 本を読むことは、時に人間であることを改めて確認させてくれます。時に人間が生きていく上で大切なことに気づかせてくれます。皆さん、この冬休み中に是非、一冊、本を読んでください。特に進路が決定した3年生諸君は、時間がたっぷりあるはずです。是非、時間を有効に使い、本を読んで自分を磨いてほしいと思います。
 短い冬休みですが、皆さん一人一人がこの一年を振り返り、新たな年の目標を立てて、3学期の始業式に臨んでくれることを期待します。
 
 私のお話は以上です。


○9月3日(月)
2学期の始業式において次のようなお話をしました。
 
 皆さん、おはようございます。
 夏季休業中は大きな事故もなく、本日、皆さんの元気な顔を見ることができ、大変嬉しく思います。今年の夏休みは皆さんにとって有意義なものになったでしょうか。
 今年は夏休み前から異常な猛暑になりましたが、8月も暑い日が続きました。8月というと私たち日本に住む者にとって、原爆投下や敗戦など戦争に関わる重要な日が多く、毎年、それを振り返る様々な催しが行われています。今日は2学期の始業式にあたり、改めて戦争について、皆さんに考えてもらいたいことをお話しします。
 
 2年生の皆さんは、11月に修学旅行で広島に行きます。修学旅行の行程の中には様々な楽しみなプログラムがあるかと思いますが、大きな目的の一つが平和学習です。
 広島に原爆が投下されたのは8月6日です。今年の8月6日のTVで、戦争の歴史を後世に伝えようと精力的に取り組む広島の高校生たちの姿を伝える番組が放映されていました。二つの取組みを紹介していましたが、一つは、広島を訪れる外国人観光客に英語で戦争の悲惨さを伝えるボランティア・ガイドを務める高校生たちでした。高校生の話を聞き、インタビューを受けていた外国人の方の表情がとても真剣でガイドの高校生の活動を称賛していたのが印象的でした。もう一つは、地元の工業高校で、原爆投下前の広島の街の様子をVRで再現しようと取り組んでいる高校生たちでした。原爆ドームは原爆の悲惨さを象徴する遺産として有名ですが、廃墟となる前の広島の街の様子がコンピューターによって再現されることにより、それが一瞬にしてあの原爆ドームのような変わり果てた姿になってしまう、リアリティを強く感じ、より一層、戦争の悲惨さを感じさせる取組みだと思いました。
 
 さて、少し前の話になりますが、3年前の平成27年の8月14日に、戦後70年の節目の年として、安倍首相が談話を発表しました。中国や韓国をはじめ多くの国が注目する中、先の大戦への反省とおわびを表明し、世界の平和と繁栄にこれまで以上に貢献していく決意を表したものでした。内容については批判的な意見、一定の評価をする意見、様々でしたが、私自身、TVのニュースを見ていて、ちょっと引っかかる部分がありました。それは、

「あの戦争には何ら関わりのない私たちの子や孫、そしてその先の世代の子どもたちに、謝罪を続ける宿命を背負わせてはなりません」

という部分です。TVのニュースで繰り返し流れていましたが、この部分だけを聞くと、戦争に直接関わらなかった世代の日本人には過去の戦争の歴史と決別させるべきであるかのように受け取れます。

 しかし、ニュースにはあまり流れなかった、これに続く一文には、次のようにあります。

 「それでもなお、私たち日本人は世代を超えて過去の歴史に真正面から向き合わなければなりません。謙虚な気持ちで過去を受け継ぎ未来へと引き渡す責任があります」

 過去の戦争の歴史を引き継ぐ責任が私たちにはあると言っているのです。これはとても大切なことだと思います。そのために皆さんは歴史を学んでいます。でも、歴史を学ぶだけでは、まだ不十分ではないかと私は考えます。

 ユダヤ人虐殺、ホロコーストで有名なアウシュビッツ収容所は現在、戦争博物館になっています。その館長がかつて次のような言葉をドイツの若者へ向けて述べました。

 「君たちに戦争の責任はない。でも、それを繰り返さない責任はある」

 戦争の歴史を知ることだけでなく、戦争を繰り返さないことも私たちに課せられた責務だということです。

 では、どうしたら戦争を繰り返さないようにできるのでしょうか。戦争は悪であり、「絶対にしてはダメ」と多くの人が思っているはずです。でも現実には戦争はなくなりません。したがって、簡単な答えなどないのだと思います。しかし、私たちは過去の戦争に関する様々な知識や遺産を基に、「戦争というものはどのようなもの」で、「どうして戦争が起きたのか」を知り、考えることができます。
 独裁者がいても、一人で戦争をすることはできません。一般の民衆の賛同があって初めて戦争になります。そこにはメディアの力、役割も大きいのです。このような「戦争のメカニズム」を私たちは知る必要があります。

 戦時中の日本の国内の様子を語った当時の人の話に次のようなものがあります。

「日本本土への空襲が始まる前、戦時下といっても、どこかお祭り騒ぎのようでした。『どこどこの国で勝利した』という新聞の見出しを見ては、みんなで喜んで万歳をしました。不謹慎かもしれないですが、それは今の時代で考えれば、アジアのどこかの国で開催されているサッカーの日本代表戦をテレビで観戦しながら、『勝った、勝った』と騒ぐことと似たような感覚だったのではないかと思います」

 目の前で血が流れ、人が死んでいく様を見ない人々にとっての率直な感想だと思います。
 これから起こるかもしれない「未来の戦争」はこのような感覚がもっと進む危険性があります。アメリカ軍は現在、無人戦闘機を1万機以上保有しています。2001年のアフガニスタンの戦争から実用化されましたが、この無人戦闘機の操縦場所は戦場から遠く離れたアメリカ国内の空軍基地にあります。パイロットたちはモニター画面を見ながら、キーボードやコントローラーを操作することで爆撃を行っています。まさにゲームの世界です。無人戦闘機のパイロットの日常生活というのは、次のようなものです。

 「毎朝、基地郊外にある自宅で家族との食事をすませ、マイカーで出勤。フライトスーツに着替えて屋内にある操縦席に乗り込む。数時間の戦場での偵察や戦闘を繰り広げ、勤務が終わればそのまま子どものサッカーの試合観戦に出かけます」

 普通のサラリーマンが戦争をしているようです。
 このように戦争の形態はどんどん変わってきています。無人戦闘機は今やアメリカだけでなく、中国が積極的に開発し、世界に輸出、拡散しています。我々の身近にあるドローンも爆発物を載せれば、無人戦闘機になります。実際にそのように使用されている例もあります。
 戦争を繰り返さないためにも、私たち一人一人が、戦争の歴史と実態を知り、考え、行動することにより、その責任を果たしていかなければならないと思います。そのためにも、皆さんには、高校生として多くのことを学び、考え、次代を担う存在として、行動してほしいと思います。2学期もしっかりと学習に取り組んでください。
 私のお話は以上です。


○7月20日(金)
 1学期終業式において次のようなお話をしました。
 

 おはようございます。今日は1学期の終業式です。今学期の自分の学校生活を振り返り、明日からの長い夏休みを有意義に過ごしてほしいと思います。
本日は、皆さんが夏休み中もしっかりと自らの目標に向かって行動してくれることを期待して、“grit”「やり抜く力」について、お話ししたいと思います。
 

 さて、皆さんは「大日本沿海輿地全図」という地図を知っていますか。日本史受験の3年生はすでに勉強しているかもしれません。江戸時代の終わり頃、実際に測量を行い作成された、初めての日本全図です。その正確さは驚くべきもので、現在使用している地図と重ねてみても海岸線はほぼ重なり、実際に昭和の初め頃まで使用されていました。では、この地図を作った人は誰でしょう? そうです、伊能忠敬です。

 伊能忠敬はこの地図を作製するために、17年間、日本全国を歩き回りました。歩いた距離の総合計は4万km以上。これは地球を一周する距離です。彼は正確な地図を作製するため、海岸線に沿って細かく測量を行いましたが、海岸線には通常、きちんとした道はなく、砂や岩ばかりで、けわしい崖や満潮時には渡れない浜など相当、困難な行程だったようです。しかも、彼がこの地図作りに着手したのは、50歳を過ぎて家業の商売を隠居してからです。なぜ、彼は老後の余暇を楽しむことなく、このような困難な事業に取組んだのでしょう。

 伊能忠敬は、地図作製に取り掛かる前は千葉県佐倉の商人で、米の売買や運送業、金融業にも手を広げ、現在のお金で50億円にものぼる資産を築いた大実業家でした。

 ただ、彼は子供の頃から、算術などの学問に強い興味を持っていて、その才能は周りの人々からも高く評価されていました。しかし、彼の育った環境では学問の道を志すことは難しく、17歳の時に商人の家である伊能家の婿養子となり、傾いた家業を立て直すために商売に全力を尽くしてきたのでした。そして、ようやく商売も軌道に乗ってきた49歳の時に長男に家督を譲り隠居をしました。そして、彼は、子供の頃からの夢を実現すべく、江戸に出て、当時最も著名な天文学者の高橋至時(よしとき)に弟子入りし、50歳から学問に打ち込むことになります。

 伊能忠敬は西洋の天文学を学んでいくうちに、先生である高橋至時の影響もあり、地球の大きさを知りたいと強く思うようになりました。当時、すでに地球は丸いということは分かっていました。それゆえ、北極星を2つの地点で観測し、見上げる角度を比較することで、緯度の差が分かり、2つの地点の距離が分かれば地球の外周が割り出せると考えていました。ただし、正確に調べるためには2つの地点にはかなりの距離が必要でした。

 その当時、江戸幕府はロシアなどから日本を守るため、蝦夷地(現在の北海道)の正確な地図を必要としていました。そこで、高橋至時は幕府に蝦夷地の地図を作ることを願い出て、忠敬に蝦夷地までの測量をやってもらおうと考えました。ほどなく、幕府の許可は降り、伊能忠敬は測量の旅の第一歩を踏み出すのです。

 忠敬一行は、昼間は歩いて距離を測量し、夜に宿泊地に着くと天体観測を行うという行動を180日間繰り返し、北海道の釧路の先まで往復して江戸に帰ってきます。そして、約2か月で東北と北海道の東海岸の地図を完成しました。この地図を見た幕府の役人は、その精密さと正確さに驚き、以後、幕府は日本全国の地図作りを彼に命ずることになったのです。

 そして、忠敬の真の目的であった、地球の大きさについては、最初の蝦夷地から日本全国へ測量の旅を重ね、その度に計算をして誤差を少しずつ小さくして、最終的には39,852kmと割り出しました。これは、現在の正確な数値との誤差、わずかに73kmです。

 
 このように、伊能忠敬は最終的には、部下の尽力もあり、実測した初の日本地図を作り上げ、地球の大きさを導き出すことも出来ました。なぜ、彼はこのような素晴らしい実績を残すことができたのでしょうか。それは、彼には“grit”「やり抜く力」があったからだと私は思います。

 “grit”という英単語は一般的には、勇気、気概、闘志などと訳されます。この言葉を成功者に共通する能力として近年、提唱したのがアメリカの心理学者、アンジェラ・ダックワースという人です。ビジネスやスポーツほかあらゆる世界で成功を収める秘訣、それは才能ではなく、“grit”「やり抜く力」であると彼女は言います。この“grit”「やり抜く力」には、情熱(passion)と粘り強さ(stamina)が必要だと言います。伊能忠敬には、並外れた探求心と学びに向かう力(passion)がありました。そして、地道にコツコツと地球一周分の距離を歩いて測量を続ける、ひたむきさとあきらめない心(stamina)を持っていました。忠敬の功績を見ると、この「やり抜く力」も彼に備わっていた才能のように思えてきます。

 しかし、“grit”は先天的な能力ではなく、鍛えること、伸ばすことができる能力であるとダックワースさんは言っています。何が“grit”を鍛えるのかというと困難な体験を重ねることだそうです。困難な体験を重ねることにより、“grit”が高まり、厳しい状況・場面にも諦めずに挑戦できるようになっていくのだそうです。

 皆さんは今、程度の差はあれ、学習や人間関係など様々な困難を抱えているはずです。なかには非常につらい気持ちを抱えている人もいるかもしれません。しかし、悲観的にならないでください。困難を抱えている今が、あなたの成長のチャンスなのです。苦しさはいつか、和らぎます。そして、困難を乗り越えた時にあなたの“grit”は確実にレベルアップしています。
 
 暑い夏に負けずに、学習、進路活動、部活動に励み、“grit”「やり抜く力」を鍛えてください。2学期の始業式には、一段とたくましくなった皆さんの顔を見られることを期待しています。

 私のお話は以上です。

 

○4月6日(金)
 1学期始業式において次のようなお話をしました。
 
 本日は平成30年度の始業式です。始業式に当たり、皆さんに決意を新たに充実した学校生活をおくってもらうために、今日は「目標を達成するために必要なこと」についてお話ししたいと思います。
 
 さて、皆さんは先日まで行われていた、ピョンチャン・オリンピック・パラリンピックで一番、印象に残っているシーンは何ですか?女子のスピードスケートやカーリング等、日本人選手の活躍は目を見張るものがありました。その中でも、多くの人がナンバーワンにあげるのは、男子フィギュアスケートで金メダルを獲得した羽生結弦選手ではないでしょうか。

 羽生選手が金メダルをかけてフリーの演技を行っていた時、私は前任校の2年生の生徒と一緒に修学旅行先の沖縄、那覇空港のロビーで帰りの飛行機を待っていました。大型のテレビに映る羽生選手の演技をロビーにいた大勢の人々が固唾をのんで見守っていました。演技が終わり、羽生選手が金メダルを確信させる笑顔を浮かべた瞬間、ロビーにいる多くの人たちから拍手と歓声が上がりました。隣に座る見ず知らずの人と同じ喜びと感動を味わっているのが実感できました。そして、こんなにも多くの人々に感動を与える彼の演技はもちろん、その生き方について、改めて考えてみたいと思いました。
 
 修学旅行から帰ってきて、一冊の興味深い本に出会いました。テレビにもよく出ている脳科学者、茂木健一郎さんの『やり抜く脳の鍛え方』という本です。この本は、アメリカの心理学者アンジェラ・リー・ダックワースの「やり抜く力=グリット」という考え方に基づき書かれたものです。ダックワース氏によると、様々な分野で成功している人達に共通するのは、才能のある、なしではなく、物事を最後までやり抜く力であり、これを彼女は「グリット」と呼びました。今、アメリカで非常に注目されている考え方です。この力を伸ばす具体的な方法として、茂木先生は「やり抜く脳」の鍛え方を紹介しています。
やり抜く力の乏しい人、これがよく言う「三日坊主」になる人です。茂木先生は「三日坊主」に陥りやすい人の共通点として、次の3点をあげています。
  1.  ゴール設定がなされていない
  2.  今やるべきことが明確でない
  3.  具体的な報酬が容易されていない

 裏を返すと、この3つの点をしっかりと行えば、物事をやり抜く力が育ち、成功者になれるということです。ちなみに、3点目の報酬については、「この宿題をやったらチョコを1個食べよう」というような小さなもので良いそうです。些細な報酬でも、脳は十分に活性化し、ドーパミンという幸せや喜びを感じる脳内物質を出すそうです。
 
 羽生選手の話に戻ります。彼が私たちに、あれほどの感動を与えたのは、オリンピックの金メダルを2大会連続で取ったから、だけではないと思います。オリンピック直前にケガをして、その後の大会を欠場し、出場すら危ぶまれたオリンピック本番で、最高のパフォーマンスを見せ、見事に復活したからだと思います。まさに、不死鳥のごとく。

 羽生選手は何故、復活し金メダルをとることができたのか?茂木先生があげた、さきほどの3点にあてはめて考えてみたいと思います。羽生選手にとってのゴールは、もちろんオリンピックで金メダルを取ることだったと思います。1点目のゴール設定は大変、分かりやすいと思います。
 2点目の「今やることの明確化」はどうでしょうか。オリンピック、ショートプログラムの前日のインタビューで羽生選手は次のように言っています。
 「とにかく、やるべきことはやってきました。2か月間滑れなかった間も、とにかく努力をし続けました。その努力をしっかり、結果として出したい」滑れない時の努力とは、どのようなものだったのでしょうか。大会後の彼の話によると、陸上でジャンプのフォームを固めたり、心理学やメンタリティに関する本を読み、メンタルトレーニングを行っていたそうです。そして、大会の日程に合わせて、より難易度の高いジャンプの練習を段階を追って行っていったそうです。今やれることをしっかりと理解し、やるべきことを実践してきたことが窺えます。
 では、3点目の、羽生選手にとっての報酬とは何だったのでしょうか。もちろん、金メダルでしょう。でも、それだけではないように感じます。彼は東日本大震災で自ら被災しながらも、被災した多くの人たちを応援するためにスケートを続けてきました。彼がオリンピックで金メダルを取ることを多くの日本人が期待していました。彼にとっての報酬とは、その期待に応え、自分を応援してくれた多くの人たちの喜ぶ姿を見ること、人々を幸せにすることだったのではないでしょうか。
 
 さて、3年生は、いよいよ自らの進路実現に挑む年になりました。そして、2年生は、これからの自分の進むべき道をしっかりと定めていく一年になります。皆さんが自らの未来を切り開くためにも、羽生選手のように逆境にも負けない、やり抜く力を身につけることが大切です。そのためには、具体的な目標を立て、それに近づくために、今やるべきことを明確にすることが大切です。大きな目標を達成するために、今やるべき小さな目標を一つずつ達成していきましょう。そして、目標が達成されるごとに自分へのごほうびも忘れずに用意してください。先生方も是非、生徒の小さな一歩を褒めてあげてください。それが何よりの報酬になると思います。

 それでは、早速、今日、この日から、今やるべきことをやり始めましょう。
 
〒206-0822 東京都稲城市坂浜1434-3
電話 : 042-350-0300 ファクシミリ : 042-350-0303
E-mail : S1000285@section.metro.tokyo.jp
アクセス