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令和3年度1学期始業式(4月6日) 校長先生のお話

 今日はちょっとスポーツを例にして話しをします。ルールがわからないという人もイメージして聞いてください。
 野球では、打者が一球ごとに打席を外してベンチからのサインを確認します。また、一球ごとに審判がストライクかボールか必ず判定します。打てばセーフか、アウトか、必ず判定します。審判が何も判定しないことはありません。方や、例えばサッカーは何か反則が起きない限り笛は吹かれません、そのままゲームは続いていきます。実際にサッカーの競技規則には、「最高の試合とは、審判がほとんど登場することのない試合である」と書かれています。
 言っておきますが、私はどちらのスポーツも好きです。野球には一球一球の勝負の醍醐味があります。今は単にその競技性の違いを例にしているだけです。
 さて、皆さんは、生活において、どちらがいいですか。何か行動を一つするたびにそれはセーフ、それはアウトと判定をしてもらいながら生きていきますか。何かやろうとするたびに誰かの指示を確認しますか。それとも、自分自身で状況を判断し、最善の方法を選択して、仲間と連携しあって、笛を鳴らせることなく、生きていきたいですか。
 どちらを選びますか。
 サッカー型を選ぶなら、まずはルールを守らねばなりませんね。ルールを知っている、ルールがわかっている、ルールを守れる。「知る」、「わかる」、「できる」の違いについては、修了式でお話ししました。覚えていますか。
 もしもルールなんか関係ないと思っている人、知ってはいるけど分かっていない人が一人でもピッチに立っていたら、試合は成立しません。両チームの誰も楽しめないどころか安全さえ保障できません。わかりますよね。
 ただし、笛が鳴らなければ、つまり反則をしなければサッカーが楽しいかというとそれもまた違いますよね。
 規則では、その競技で起こりえることすべてを網羅することなど不可能です。プレーヤーは対戦相手や競技そのものをリスペクトし、持てる技術を駆使して、状況を判断して、仲間とコミュニケーションをとって、更には、仲間のために身を挺して、苦しくても走って、無駄な動きに終わるかもしれないけれどカバーして、サッカーにはそうやって得点を挙げていく楽しさがあるんですよね。そのためには規則にはないけれど、サッカーをお互いが楽しむために、やらなければならないこと、やってはいけないことが自分の中にチームの中になければできません。これを規律と言います。規則の規だけでなく、律するの律を使います。
 普段の生活ではどうでしょうか。ごく簡単な例を挙げるならば、挨拶をする、高齢者に席を譲る、道いっぱい広がって歩かない、道端に座らない、他人の立場に立って考える。こんなことは法律には書いてはありません。自分の中や仲間の中で、やらなければならないことや、やったほうがいいこと、やってはいけないことがきちんと育っていなければいけないことの例です。
 言いたいことは、一つです。人生においては、自分自身が監督であり、自分自身が審判でなければならないということです。誰かに自分の人生の笛をゆだねてはいけません。
 最後に、すべてのスポーツに共通するルールの代表的なものを一つ。それは時間です。どんなに能力のあるプレーヤーでもキックオフやプレーボールの時間にその場にいなければグラウンドやコートには立てません。時間はすべての基本であり、最大のルールです。昨年度は、いつも学校のキックオフの時間に遅れてくる人がいましたね。昨年度は、一昨年度よりも良くなったことがいっぱいありました。そこには皆さんの成長を感じていますが、遅刻だけは増えました。時間を守れなければ、楽しむ場にすら立てない、チームにも迷惑がかかる、相手にも迷惑がかかる。時間とは、すべての人に与えられた共通にして、絶対的なルールであり、すべての人に平等に与えられた権利だということを肝に銘じて、今年度、行動をしてください。期待しています。
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